【知られざるニッポン vol.24】日本三名園に隠された「意外な事実」
日本人は日本三〇〇とか、三大〇〇が大好き。今回は「日本三名園」を紹介しましょう。金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園が「日本三名園」。誰が、どんな基準で選んだのでしょう? 「The 3 Great Garden…
日本人は日本三〇〇とか、三大〇〇が大好き。今回は「日本三名園」を紹介しましょう。金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園が「日本三名園」。誰が、どんな基準で選んだのでしょう? 「The 3 Great Garden…
東京にある大名庭園は、東京とりっぷ取材班の調べで全23。実は、ひょっとするとという候補がほかにもありますが、(池が大名庭園時代と同じ位置にあるなど)確定しているのは23ヶ所にすぎません。その23庭園を、取材班が「お気に入…
江戸城の三の丸と二の丸を隔てる濠。平川門から江戸城に入ると左手に天神濠、右手に平川濠があります。今では土橋になっていますが、江戸城築城当初は跳ね橋で、いざという時には橋を落として防衛力を強化することができました。天神濠と…
近世最大級の城郭を誇る江戸城ですが、雉子橋門を起点に時計回りに新たに開削した神田川(仙台濠)に至るまで、全長14kmの外濠を巡らせていました。常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となって…
江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる濠(ほり)が白鳥濠(はくちょうぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、…
東京の大名庭園は『東京とりっぷ』『ニッポン旅マガジン』取材班の調査では、目下、確定しているのが23庭園あります。そのうち、別に紹介した「必踏5庭園」を除く新宿区、文京区、台東区、墨田区に現存する大名庭園は9庭園。意外に新…
東京の大名庭園で、別に「必踏五大庭園」を紹介していますが、東京には大名庭園をルーツとする公園・庭園がまだまだ各地に残されています。『東京とりっぷ』取材班の調べでも残り18庭園が、確実に大名庭園の名残を示す庭園です。千代田…
江戸に数ある大名庭園。東京とりっぷ編集部の調べでは、大名庭園の遺構といえるのは、23庭園。なかでも「ここはぜひとも探勝したい!」、「大名気取りで庭園を歩くことができる」とおすすめの庭園が、ここに紹介する「必踏五大庭園」。…
江戸時代の江戸の町(現在の東京都心)は、7割が武家の土地。なかでも面積の半分を占めていたのが、大名屋敷です。大名屋敷には競って大名庭園が築かれ、その数は数百とも、1000ともいわれています。現存する大名庭園はらしきものを…
江戸城外濠跡に位置する日比谷セントラルビル。その公開緑地には江戸城外濠の石垣を復元保存しています。昭和9年に日産館、昭和19年に大日本帝国海軍の艦政本部などが置かれた場所で、昭和31年以降は三井物産の所有となり、物産館と…
国の名勝に指定される縮景園は、広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)が1620(元和6)年に造園した大名庭園(別邸の庭園)。作庭は茶人としても知られる家老の上田宗箇。中国きっての景勝地として知られる西湖(現・浙江省杭州市…
近水園(おみずえん)は、関ヶ原の合戦後、備中足守に所領替えとなった藩主・木下氏の庭園。足守川の水を引き入れた遠州流の池泉回遊式庭園で、江戸初期の大名庭園らしい風情が感じられるのが特徴。岡山後楽園のある岡山市内にあるので、…
明暦年間(1655年〜1658年)に、津山藩2代藩主・森長継(もりながつぐ)が、京の仙洞御所を模して造らせたといわれる、池泉回遊式の大名庭園。藩政時代、津山藩(現・岡山県津山市)では他藩の使者を城内に入れずに、ここで対応…
幕末の名君として知られる第9代水戸藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき)が天保13年(1842年)に民衆とともに楽しむために造園した庭園。100品種3000本にも及ぶ梅林が圧巻。開花期も長く、2月中旬〜3月まで美しい梅の花が…
水戸の偕楽園(かいらくえん)、岡山の後楽園(こうらくえん)と並び、日本三大名園に数えられる兼六園。江戸時代の代表的な林泉回遊式の庭園で、国の特別名勝にもなっています。霞ヶ池の畔にある徽軫灯籠(ことじとうろう)は、兼六園の…
水戸の偕楽園(かいらくえん)、金沢の兼六園(けんろくえん)と並んで、「日本三名園」のひとつに数えられる岡山の後楽園。岡山藩主・池田綱政によって、14年もの歳月をかけて完成。造園当時は、岡山城の後に造られた園という意味で、…
江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよく…
赤坂方面から外濠を渡り、赤坂見附(赤坂御門)を入った先の坂道。現在では都道府県会館、赤坂プリンスクラシックハウス前の坂道が諏訪坂。もともと諏訪氏の屋敷のあったことが名の由来です。諏訪氏というのは、諏訪神社上社大祝(おおほ…