備前赤崎駅跡
岡山県倉敷市児島にある下津井電鉄下津井電鉄線(狭軌/ナローゲージ)の駅の跡が備前赤崎駅跡(びぜんあかさきえきあと)。大正3年3月15日に赤崎村駅として開業。昭和10年1月10日に備前赤崎駅に改称され、平成3年1月1日に下…
岡山県倉敷市児島にある下津井電鉄下津井電鉄線(狭軌/ナローゲージ)の駅の跡が備前赤崎駅跡(びぜんあかさきえきあと)。大正3年3月15日に赤崎村駅として開業。昭和10年1月10日に備前赤崎駅に改称され、平成3年1月1日に下…
岡山県倉敷市児島味野にある歴史ある木造の灯明台が旧野﨑浜灯明台。文久3年(1863年)、野﨑浜に塩田を築き、苗字帯刀を許された大庄屋、野﨑武左衛門が築いたもの。塩釜明神の御神燈として、浜に出入りする船の夜間照明のための灯…
岡山県倉敷市児島にある「塩田王」野﨑武左衛門が、天保9年(1838年)に14年をかけて築いた大邸宅が旧野﨑家住宅。約1万平方メートルという広大な敷地には、江戸末期から明治中期にかけて建てられた12棟が旧状よく保存され、製…
岡山県倉敷市、倉敷美観地区にある国の重要文化財に指定される豪商の家が大橋家住宅。新田、塩田の開発で成功を収め大地主となった豪商・大橋家。幕末には村役人も兼ねていた家柄で、当時町人の住居に設けることが許されていなかった長屋…
岡山県倉敷市にある実業家・大原孫三郎(おおはらまごさぶろう)が家族で暮らすために建てた大原家の別邸が、有隣荘。大原家はもともと大地主で、明治時代には紡績業でも成功を収め、倉敷の人材育成や町並み整備に貢献しています。病弱な…
大原總一郎の尽力で生まれた岡山県民藝協会が昭和23年に、岡山県倉敷市の倉敷美観地区に開館した民藝品の展示館が倉敷民藝館。旧庄屋植田家の江戸時代後期築という米蔵3棟を再生して、1万5000点ほど収蔵する民藝を、1年に3回の…
岡山県倉敷市、白壁の土蔵が軒を連ねる倉敷美観地区に溶け込むようにたたずむ昭和42年に開館した博物館が日本郷土玩具館。江戸時代の米蔵、呉服商の商家を再生したもの。江戸時代から昭和初期に全国各地で作られた郷土玩具4万点を収集…
岡山県倉敷市にある吉備地方の遺跡を中心に、瀬戸内海一帯から発掘された石器や土器などの出土品を時代順に展示する博物館が倉敷考古館。倉敷考古館は、昭和25年の開館以来、古代吉備を代表する数々の遺跡の発掘調査を手がけ、調査研究…
岡山県倉敷市、倉敷美観地区に建つ倉敷出身の星野仙一氏のミュージアム、星野仙一記念館。倉敷商業から明治大学に進み、東京六大学野球で活躍後、中日ドラゴンズに入団。中日、阪神、楽天、日本代表の監督を務めた名投手で、名監督。中日…
岡山県瀬戸内市牛窓にあり、港を一望する高台に建つ名刹、本蓮寺。江戸時代には西国大名の参勤交代の宿泊所として、また朝鮮通信使の接待所として客殿にある「謁見の間」が使われています。また客殿の庭は小堀遠州作と伝わる名庭で予約を…
岡山県瀬戸内市牛窓町、播磨灘に臨み西廻り航路、朝鮮通信使の風待ち、潮待ちの港として栄えた牛窓。「牛窓千軒」とも称された牛窓の繁栄を今に伝える通りが、しおまち唐琴通りです。古き家並みは、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡部に沿って、…
岡山県瀬戸内市牛窓町にある瀬戸内海随一の設備を誇る岡山県営のヨットハーバーが岡山県牛窓ヨットハーバー。クルーザーヨット169艇(うち陸上保管63艇)、ディンギーヨット293艇(陸上保管)を収容する大規模なハーバーで、ヨッ…
岡山県瀬戸内市牛窓町、風待ち湊、潮待ち湊としての歴史を有する牛窓港に建つ展示資料館が、牛窓海遊文化館。敷地は肥後藩が参勤交代で利用した宿舎跡。そして白壁漆喰のレトロな建物は、明治20年築の旧牛窓警察署本館(建築当初は西大…
岡山県瀬戸内市牛窓町、レトロな家並みが残る牛窓のしおまち唐琴通り沿いにあるのが街角ミュゼ牛窓文化館。旧中國銀行牛窓支店の建物(国の登録有形文化財)を再生したもの。牛窓はかつて瀬戸内海屈指の貿易港として栄えた町で、その名残…
岡山県瀬戸内市牛窓町の前島フェリーが発着する牛窓港にある観光案内所が瀬戸内市観光センター瀬戸内きらり館。瀬戸内市内の特産品を揃えた特産品販売コーナー、パンフレットなどを設置した観光情報コーナーがあるほか、レンタサイクルも…
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓、牛窓港と眼前にある前島を結ぶ定期カーフェリーが前島フェリーで、瀬戸内市緑の村公社が運航。所要時間5分という短いクルーズで、毎時1~3本が運航。就航する船は、「まえじま丸」(130t)、「第7から…
備前福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)にあるうどん、そして郷土料理「どどめせ」が味わえるのが、こだわりうどん一文字。材木屋だった先代が、讃岐流のセルフうどんを知ったことがきっかけで、店を開店。今では2代目がこだわりのうどん…
岡山県瀬戸内市牛窓町にある古社、牛窓神社。創建当初は土地の神霊を祀り牛窓明神と称していましたが、長和年間(1012年~1016)年、教円大徳によって豊前国(大分県)の宇佐八幡宮弥勒寺(現・宇佐神宮)から応神天皇などの分霊…