海芝公園
神奈川県横浜市鶴見区末広町2丁目、JR東日本・鶴見線(海芝浦支線)の終着駅、海芝浦駅に併設された公園が、海芝公園。首都圏ではもっとも海に近い駅として知られる海芝浦駅ですが、駅の敷地が東芝エネルギーシステムズ京浜事業の敷地…
神奈川県横浜市鶴見区末広町2丁目、JR東日本・鶴見線(海芝浦支線)の終着駅、海芝浦駅に併設された公園が、海芝公園。首都圏ではもっとも海に近い駅として知られる海芝浦駅ですが、駅の敷地が東芝エネルギーシステムズ京浜事業の敷地…
愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋が、来島海峡大橋(来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋の総称)。西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)の一部ですが、橋の北側に自転車歩行者道、南…
スパリゾートハワイアンのある福島県いわき市。いわき観光共同キャンペーン実行委員会が一般社団法人日本記念日協会に申請し、2023年1月に認定されたのが、アロハの日。アロハの挨拶をする際に用いるハンドサイン「シャカブラー」(…
埼玉県秩父郡横瀬町、武甲山の北麓、横瀬の寺坂棚田近くにある日帰入浴施設が、秩父湯元 武甲温泉。強アルカリ性の単純硫黄温泉で、大浴場には、ジェットバス付きの大浴槽、炭酸泉の湯船、サウナ、水風呂などの設備が充実し、爽快な屋根…
埼玉県さいたま市大宮区、ニューシャトル鉄道博物館駅近くに建つのが、「てっぱく」の愛称で呼ばれる鉄道博物館。国の重要文化財・鉄道記念物となっているのがナデ6110形式6141号電車。大正3年3月31日、鉄道院新橋工場で完成…
一般に東京タワーは紅白のツートンカラーと思われがちですが、実は、航空法施行規則第132条の3(昼間障害標識の種類及び設置基準)で「黄赤」と呼ばれるインターナショナルオレンジ( #FS 12197)で塗装されてい…
東京都大島町泉津福重、大島一周道路途中、大島の東岸、泉津と裏砂漠の間に位置するのが東京都立大島公園。その一角にある椿園のメイン施設が椿資料館です。昭和15年ころから椿の植栽が始まり、今では国内最大級の椿植物園に発展。大島…
東京都大島町波浮港、川端康成の小説『伊豆の踊子』に登場する踊子たちが住んでいたのが、大島の南端・波浮港(はぶみなと)。『伊豆の踊子』は、その波浮港の港屋旅館の酒宴で芸を披露していた大島の旅芸人一座がモデルで、港屋旅館が廃…
大江山鬼伝説が伝わり、「日本の鬼の交流博物館」のある京都府福知山市。妖怪博士ちゃん・妖怪探究家として活躍する、中学3年生関本創さんの手掛けたオリジナル絵本『節分で追い出された鬼はどこへ行く?』(B5判/24P)の読み聞か…
沖縄県那覇市、那覇バスターミナルの西端部、交通広場にあるのが、沖縄県営鉄道那覇駅跡・転車台遺構。沖縄県軽便鉄道(後の沖縄県営鉄道)は、大正3年12月1日、与那原線(よなばるせん/那覇駅〜与那原駅)が開業、当初は蒸気機関車…
福井県敦賀市にある北陸本線貨物支線の跡が、敦賀港線跡(廃線跡)。敦賀港線はあくまで通称ですが、敦賀港駅は明治15年3月10日、金ヶ崎駅(かねがさきえき)として開業した歴史ある駅です。昭和62年に旅客営業が廃止され、平成3…
福井県敦賀市金ケ崎町、明治38年にアメリカの石油会社が備蓄用に建設した赤レンガ倉庫2棟のうち北棟が、鉄道と港の「ジオラマ館」。建設110周年で、「鉄道と港のまち敦賀」のジオラマ展示施設に再生したもので、館内では戦前の敦賀…
福井県敦賀市金ケ崎町、敦賀赤レンガ倉庫に平成30年5月19日に設置されたのが、キハ28形。昭和43年12月21日に製造された最後の国鉄急行形気動車で、急行「わかさ」として小浜線で活躍したこともあり、「鉄道と港のまち敦賀」…
福井県敦賀市金ケ崎町にある「鉄道と港のまち敦賀」のシンボル的な存在が、敦賀赤レンガ倉庫。明治38年にアメリカの石油会社・紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーによって建設された石油貯蔵用の倉庫を再生したもので、北棟、…
東京都西東京市田無町3丁目、創建は不詳ですが、神仏習合の鎌倉時代には尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)として祀られていたという古社が、田無神社。明治初年の神仏分離で明治5年、尉殿神社から田無神社に改称、明治43年、周辺…
神奈川県三浦郡葉山町、日本のヨット発祥地・葉山にあるマリーナが、葉山マリーナ。農商務司法大臣・金子堅太郎伯爵の子息が 明治15年にヨットを建造し、葉山で楽しんだのが日本人によるヨットレジャーの発祥。当時は鐙摺(あぶずり)…
JR東日本は、2022年度における利用者がとくに少ない輸送密度2000人未満の34路線62区間の収支を公表していますが、関東地方で100円の運輸収入を得るためにいくらの費用がかかるかを示す「営業係数」が最も悪いのが、久留…
長徳2年(996年)、紫式部は父・藤原為時に伴って越前国に入国しますが、これが人生で京を離れて暮らした唯一の経験。紫式部が暮らした屋敷のあった場所は定かでありませんが、父・藤原為時が国司として任官した国庁は、越前市武生に…