京浜急行発祥の地
京浜急行電鉄は、明治31年2月25日に設立した大師電気鉄道株式会社が前身。明治32年1月21日、大師電気鉄道は、川崎駅(後の六郷橋駅)〜大師駅(現・川崎大師駅)間 (2.0km) を開業。これが現在の京急大師線です。川崎…
京浜急行電鉄は、明治31年2月25日に設立した大師電気鉄道株式会社が前身。明治32年1月21日、大師電気鉄道は、川崎駅(後の六郷橋駅)〜大師駅(現・川崎大師駅)間 (2.0km) を開業。これが現在の京急大師線です。川崎…
京都・伏見を流れる濠川(ごうかわ・ほりかわ)に面したかつての船宿が寺田屋。三十石船が往来した時代は、大いに賑わったとか。幕末に勤王派の急先鋒であった薩摩藩士が、島津久光の命で同士討ちされた「寺田屋騒動」が起きた場所。さら…
南伊豆・下田市にある岬が爪木崎で、須崎半島の先端部の名称。突端に爪木埼灯台が建つ一画が爪木崎自然公園として整備されています。夏は風光明媚なビーチとして海水浴で賑わいますが、12月下旬〜2月上旬にかけては水仙が咲き、『水仙…
経済産業省の近代化産業遺産に認定される赤レンガ倉庫、50t起重機(ハンマーヘッドクレーン)のある新港ふ頭地区と、象の鼻パークを結ぶ「山下臨港線プロムナード」途中にあるかつてここを走った鉄道、臨港線(税関線)の新港橋梁。遊…
京都府と福井県との県境に位置する標高693mの青葉山(若狭富士)西山腹(舞鶴市)にある西国三十三所第29番札所の寺が松尾寺(まつのおでら)。和銅元年(708年)に中国の僧、威光(いこう)が開山したと伝わる古刹です。本尊は…
慶応2年1月21日(1866年3月7日)に近衛家別邸・御花畑屋敷(京都市上京区室町通鞍馬口下ル)で締結された、薩摩藩と長州藩の同盟が薩長同盟。坂本龍馬や中岡慎太郎の斡旋もあって、薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の木戸貫治(木戸孝…
天平8年(736年)、徳道上人の創建と伝わる鎌倉長谷にある浄土宗の古刹、長谷寺(はせでら)。坂東三十三観音第4番霊場で本尊は十一面観世音菩薩。高台にあるため、長谷界隈でもっとも眺めがいい寺で、鎌倉の海岸線を眺望します。そ…
近江八幡市安土町にある古社が沙沙貴神社(ささきじんじゃ)。神代の昔、少彦名命(すくなひこのみこと)を祀ったことに始まり、古代に近江国(おうみのくに=現・滋賀県)に勢力を誇った豪族・沙沙貴山君(ささきやまぎみ)が大彦命(お…
長崎市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋は日本で初めてつくられたアーチ型石橋。唐寺である興福寺第2代目住職の黙子如定(もくすにょじょう)が、参詣者のためにと江戸時代初めの寛永11年(1634年)に架けられたといわれ、長さ23…
諫早城(いさはやじょう=高城城)の城跡を整備した長崎県諫早市の諫早公園。その園内にある眼鏡橋(めがねばし)はもともと、諫早公園のそばを流れる暴れ川・本明川に架かっていた、天保10年(1839年)架橋の石橋。橋に階段があり…
佐世保市にある九十九島を眺望する絶景展望台の石岳展望台。道路から山道を歩かなければならないため、かつてはカメラマンなど地元の人のみが訪れていた知る人ぞ知る穴場でした。それが2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
昭和5年に運輸省航海練習所の元練習船として進水し、数々の遠洋航海に出た日本丸。昭和59年に練習船としての役目を終え、横浜に永久的に錨を下ろしました。その帆船日本丸が係留保存されるのが横浜みなとみらい21地区にある日本丸メ…
長崎港ターミナルから定期便として運航される、やまざき海運の遊覧コース。3隻のクルーズ船「マルベージャ」(定員225名)、「マルベージャ3」(定員221名)、「観光丸」(定員300名)によるクルージングが楽しめる。軍艦島上…
長崎から18.5km、野母崎近くの海上にある周囲1.2kmの島が、軍艦島。海上から眺める姿が戦艦「土佐」に似ていたことから、軍艦島の名の由来ですが、正式名は端島(はしま)。もともとは水成岩の瀬だったのですが、三菱が買い取…
本土最西端の地、長崎県佐世保市の小佐々(こさざ)地区にある岬が神崎鼻(こうざきばな)。先端部分は神崎鼻公園として整備され、「日本本土最西端のシンボル塔」をはじめ、日本本土最端地との四極交流盟約を記念した直径15mの「四極…
西海国立公園に指定された多島海の群島、九十九島。それを南側から眺望するのが佐世保市各所にある展望所。船越展望所もそのひとつで、南九十九島観光の拠点、西海パールシーリゾートから車で3分ほどの距離にあるという好立地。展望台周…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…