寛永寺旧本坊表門
徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日…
徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日…
東大寺の鐘楼に架かる大鐘は、大仏開眼と同年の752(天平勝宝4)年の鋳造で国宝。この天平の大鐘を除夜の鐘に撞くことができます。先着800名に限るので、整理券を獲得する必要があります。佐保川蛍、東大寺鐘、三笠山雪、春日野鹿…
眉山(びざん)と対峙する、標高61mの城山の徳島城跡にあるのが徳島市立徳島城博物館。徳島城は阿波徳島藩25万石の藩主・蜂須賀家の居城で、表御殿庭園、太鼓櫓石垣などが残り、城門である鷲の門が復元されている。表御殿庭園を囲む…
徳島県徳島市方上町の県道210号沿いにある弁天山の標高は6.1m、国土地理院認定の自然にできた日本で一番低い山で、地元では弁天山保存会も組織されています。日本山岳会発行の山岳百科事典「新日本山岳誌」にも記載される正真正銘…
堺市の旧堺港の南側一帯は、明治から戦後間もなくまで、海浜リゾートとして繁栄した地。現在は大浜公園として整備されていますが、大浜公園プールの南側の築山(蘇鉄山)に、標高6.97mの一等三角点が設置されています。実は、この蘇…
上野公園に建つ、明治5年創業の西洋料理の草分け上野精養軒。その近くにあるのが大仏パゴダ。関東大震災で崩れ落ちるまで、この大仏山と称する地には大仏が鎮座していました。現在では薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があり、大…
戦国時代、堺は対明貿易や南蛮貿易の拠点となる貿易港として黄金時代を迎え、世界でも珍しい環濠都市を形成し、自治都市として繁栄しました。その後、大和川の付け替えで一時衰退しますが、江戸商人吉川俵右衛門などが湊を築き、新たな時…
旧堺港の南波止場にある六角形の木造洋式灯台の旧堺灯台は、明治10年に灯台の基礎と木製灯台部は石工・継国真吉と大工・大眉佐太郎の手で建造され、イギリス人技師ビグルストンが点灯機械の取り付けを行なったもの。灯台新築費2125…
大阪市役所の向かい側に建つ明治36年築の美しい洋館で国の重要文化財に指定されるのが日本銀行大阪支店(旧館)。花崗岩を築き上げた石造りで、設計は東京駅などの設計で知られる辰野金吾とその後輩の葛西萬司(かさいまんじ)です。落…
中之島公園に建つレトロな大阪府立の図書館が大阪府立中之島図書館。本館は、明治37年に住友本家第15代・家長吉左衛門氏の寄付によって建てられたもの。レンガと石造りの重厚な建物で、コリント式円柱に支えられるエントランスはロー…
堺市堺区北三国ヶ丘町にある巨大な前方後円墳で、百舌鳥古墳群の北端に位置する古墳が田出井山古墳。宮内庁により「百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)」として第18代反正天皇(はんぜいてんのう)の陵に治定され反正天…
世界最大級の陵墓である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、田出井山古墳(反正天皇陵)などが並ぶ百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)を見渡すのに絶好のスポットとなっているのが堺市役所21階展望ロビー。地…
大阪府堺市西区石津ヶ丘にある百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)のひとつで国内第3位の規模を誇る前方後円墳が上石津ミサンザイ古墳。宮内庁により「百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)」として第17代履中天皇(りちゅ…
中之島のシンボルともなる大正7年に建てられた赤レンガの壁と青銅のドームとのコントラストが美しい大阪市中央公会堂。北浜の株式仲買人・岩本栄之助が100万円の私費を投じて建設し、大阪市に寄贈したものでネオ・ルネサンス様式の傑…
社伝では、10代崇神天皇8年(西暦前90年)創建と伝えられる堺市にある古社が方違神社(ほうちがいじんじゃ)。仁徳天皇陵の北、田出井山古墳(反正天皇陵)に隣接し、河内・和泉・摂津の三国境で三国山、三国丘と称される地に鎮座し…
大阪府堺市堺区大仙町にある日本最大の前方後円墳が大仙陵古墳(仁徳天皇陵)。百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の古墳で、北に位置する田出井山古墳、ミサンザイ古墳とともに、「百舌鳥耳原三陵(もずのはらさんりょう)」と呼ばれていま…
利根川と広瀬川にはさまれた前橋市の朝倉・広瀬地区は、かつて200近い古墳が造られ、東日本屈指の古墳数を誇る群馬県(1万3249基/現存は2434基)でも屈指の古墳群を形成していました。八幡山古墳は、前橋市街地の南東、朝倉…
大阪府羽曳野市誉田にある古市古墳群を構成する古墳のひとつが誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。被葬者は判明していませんが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治…