佐賀県三大古墳とは!?
日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部…
日本最古の水田の跡のある菜畑遺跡、そして吉野ヶ里遺跡など、古代には大陸との交流の窓口でもあった佐賀県。有明海に臨む佐賀市(佐賀平野)の船塚古墳、銚子塚古墳が1位と3位、間に入ったのが、唐津市の唐津湾に流れ出る松浦川河口部…
佐賀県佐賀市金立町にある国の史跡に指定される古墳が、銚子塚古墳。墳丘長は98mと惜しくも100mに届きませんが、佐賀平野では船塚古墳(114m)に次ぐ巨大古墳で、佐賀県内でも久里双水古墳(唐津市108.5m)に続く第3位…
佐賀県西松浦郡有田町、万治元年(1658年)、有田皿山代官の命により伊万里の神之原八幡宮から分霊を勧請して創建したのが陶山神社(すえやまじんじゃ)。拝殿前の磁器製の鳥居は、明治21年、神事の当番町だった稗古場町が奉納した…
佐賀県佐賀市にある都市公園、神野公園(こうのこうえん)は、佐賀藩10代藩主・鍋島直正の別邸「神野御茶屋」があった場所。大正12年に鍋島直映が佐賀市に寄贈し、神野公園として公開されていますが、往時の別邸の建物が神野お茶屋で…
佐賀県佐賀市にある神野公園(こうのこうえん)は、佐賀藩10代藩主・鍋島直正の別邸「神野のお茶屋」があった場所。大正12年に鍋島直映が佐賀市に寄贈し、遊園地や動物園のある憩いの場に変身しています。隔林亭は、鍋島直正が、佐賀…
佐賀県武雄市山内町にある黒髪山地随一の展望公園が乳待坊公園(ちまちぼうこうえん)。肥前耶馬溪とも呼ばれる奇岩怪石連なる一帯は、県立黒髪山自然公園に指定され、乳待坊公園展望台、乳待坊公園キャンプ場や黒髪少年自然の家などが整…
佐賀県佐賀市道祖元町、長崎街道の道祖神社近くにある佐賀市の無形文化財に指定される「肥前びーどろ」の工房が肥前びーどろ・副島硝子。 明治36年に初代の副島源一郎が精煉社から独立し副島硝子工業所として創業した老舗で、肥前びー…
佐賀県佐賀市の中心、松原にある寿司、割烹料理店、ひぜん前 京すし。周囲には有明海産の魚介専門をうたう和食屋もありますが、「この辺りではここがイチバン。だから長崎から通うんです」と、遠来の常連も多数。「ひぜん前」とは、玄界…
佐賀県佐賀市にある都市公園、神野公園(こうのこうえん)は、佐賀藩10代藩主・鍋島直正の別邸「神野御茶屋」があった場所。大正12年に鍋島直映が佐賀市に寄贈し、神野公園こども遊園地や小動物園、復元された茶室「隔林亭」、神野御…
佐賀県佐賀市にある都市公園、神野公園(こうのこうえん)は、佐賀藩10代藩主・鍋島直正の別邸「神野御茶屋」があった場所。大正12年に鍋島直映が佐賀市に寄贈し、現在では日本庭園などのほか、神野公園こども遊園地などが整備されて…
佐賀県佐賀市にある佐賀藩10代藩主・鍋島直正、11代藩主・鍋島直大を祀り、昭和8年創建という比較的に新しい神社が佐嘉神社(さがじんじゃ)。10代藩主鍋島直正は、幕末期の佐賀藩の地位を高めた名君として譽れ高く、その子・直大…
佐賀県唐津市、名護屋城の入口にある風流な休憩施設が茶苑海月。苑内には茶室棟、広間などのある茶屋棟、日本庭園があり、数奇屋造り茶屋棟では日本庭園を眺めながら抹茶、菓子の接待を受けることができます(料金は入苑料に含まれていま…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して築かれた巨大な城郭、名護屋城の周囲に布陣した諸将ですが、それぞれ石垣を築いて陣屋を構えています。堀秀治陣跡(ほりひではるじんあと)は、現在確認される130あまりの陣跡のうちでももっ…
佐賀県唐津市、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、外征基地として築かれた巨大な城が名護屋城。本丸の南側に帯曲輪(おびくるわ)的に配されているのが馬場です。本丸、三の丸の守備という役割をも有していたため櫓も建てられ、櫓台の石垣が残さ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。南西側、搦手口(裏門)に位置する曲輪(くるわ)が弾正丸(だんじょうまる)。豊臣政権・五奉行の浅野長政(官位は弾正少弼・だんじょ…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。天草・島原一揆(島原の乱)で、一揆軍が廃城となっていた原城に籠城したことから、名護屋城も徹底的に破却されましたが、本丸旧石垣は…
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城跡が、名護屋城。当時、大坂城に次ぐ巨城でしたが、本丸の北西、二の丸の北に配された曲輪(くるわ)が遊撃丸。眼下に船手口があり、朝鮮の役の講話の際に、明国側講話使節(遊撃将…