美女づくりの湯
静岡県榛原郡川根本町、夢のつり橋など、寸又峡(すまたきょう)の散策後に立ち寄りたい、町営の露天風呂が、美女づくりの湯。温泉街の少し高台にある露天風呂は、湯船が男女別に各1ヶ所。湯船は屋根付の風情ある岩造りで、深い山々を眺…
静岡県榛原郡川根本町、夢のつり橋など、寸又峡(すまたきょう)の散策後に立ち寄りたい、町営の露天風呂が、美女づくりの湯。温泉街の少し高台にある露天風呂は、湯船が男女別に各1ヶ所。湯船は屋根付の風情ある岩造りで、深い山々を眺…
静岡県島田市金谷富士見町、静岡県のお茶の生産量の約3割を占めるという、牧之原大茶園。その高台に広がる公園が、牧之原公園。鎌倉時代、日本に茶をもたらしたという栄西の像が立ち、春先には牧之原大茶園が一面緑に色づき、好展望が楽…
静岡県伊豆市土肥、土肥温泉(といおんせん)を流れる山川の河口の南側にあるのが、松原公園。公園内には直径31m、長針の長さ12.5m、短針の長さ8.8mというギネスブックに登録される(ギネスワールドレコーズ)世界一の花時計…
静岡県富士市と静岡市清水区蒲原の境にあるのが、河口幅日本一(1950m)の富士川河口。その少し上流側、富士川最下流の橋が、国道1号(富士由比バイパス)・新富士川橋。昭和46年4月26日に、有料道路として開通した橋で、平成…
静岡県富士市と静岡市清水区蒲原の境にあるのが、富士川河口。河口幅は1950mもあり、徳島県の那賀川(なかがわ)・1770m、岐阜県・三重県県境の揖斐川(いびがわ)を抑えて、河口幅日本一になっています。河口の西側(静岡市清…
静岡県藤枝市南駿河台1丁目にある駿河国志太郡(しだぐん)の郡衙(ぐんが)の跡が、志太郡衙跡。奈良・平安時代の郡役所の跡で、国の史跡。志太郡衙は、現在の藤枝市一帯を治めた郡役所ということに。志太郡衙資料館が併設され、志太郡…
静岡県静岡市葵区追手町、駿府城公園の南側に建つのが、静岡市歴史博物館。歴史文化から静岡の未来をつくる施設として令和5年1月に開館したミュージアムで、建設工事前の発掘調査で見つかった全長30m、 幅2.7mの戦国時代末期の…
静岡県静岡市葵区、賤機山(しずはたやま)南麓の静岡浅間神社境内に、令和5年1月27日(金)~令和6年1月28日(日)の間、開設されるのが、「どうする家康 静岡 大河ドラマ館」。NHK大河ドラマ第62作『どうする家康』の放…
静岡県浜松市、静岡県内の最高層ビルが浜松駅前に建つアクトタワー。オークラアクトシティホテル(32階〜44階が客室)の入ったアクトタワー最上階・45階にあるのがオークラアクトシティホテル浜松・展望回廊で、地上185m、展望…
静岡県田方郡函南町柏谷にある6世紀末〜8世紀末に築かれた横穴墓群が、柏谷横穴群(かしやよこあなぐん)。柏谷の百穴(かしやのひゃっけつ)とも称されますが、横穴墓の数はなんと300基〜500基。崖を利用して東西6…
旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神…
静岡県浜松市天竜区水窪町にある中世の山城が、高根城(たかねじょう)。遠州(静岡県西部)と信州(長野県)との信遠国境に近い久頭合の山頂、標高420mに築かれた山城で、秋葉街道沿いの要衝です。戦国時代には武田信玄の遠江侵攻の…
静岡県沼津市根古屋、すぐ横を東海道新幹線が駆け抜ける愛鷹山の山裾にあるのが、興国寺城(こうこくじじょう)。愛鷹山から派生する支尾根の篠山を利用して築かれた中世の城で、北条早雲(伊勢新九郎盛時)旗揚げの城。隠れた名城ですが…
静岡県島田市金谷、牧之原台地の北端部、標高212m〜220mの台地に築かれた戦国時代の山城が、諏訪原城(すわはらじょう)。高天神城(現・掛川市)攻略を目指す武田勝頼が、天正元年(1573年)、家臣・馬場信春(ばばのぶはる…
静岡県掛川市、横須賀藩の城下町で、「昔町」と呼ぶのにピッタリの横須賀の鎮守社が、三熊野神社(みくまのじんじゃ)。社伝によれば、大宝元年(701年)、文武天皇の皇后が聖武天皇の出産の折、紀州熊野権現の本宮を遷して建立したと…
静岡県掛川市、江戸時代・元禄年間(1688年〜1704年)に廻船業を営み、遠州・横須賀藩の御用達を務めるほど繁栄した清水家。その清水家の回遊式庭園を再現したのが、清水邸庭園。湧水を取り入れた池を中心とした庭園は、江戸時代…
静岡県掛川市、御前崎から西に続く海岸線の奥、かつての海岸段丘の上に築かれた城が、横須賀城。高天神城(たかてんじんじょう)が高天神城の戦いで、武田勝頼に奪われた後、徳川家康が城攻めの拠点として築いたのが、横須賀城で、城跡は…
静岡県掛川市の高天神城を主戦場に、遠州進出し、上洛を狙う武田信玄、武田勝頼と徳川家康(その背後に織田信長)との間での二度に渡る激戦が、高天神城の戦い。高天神城を攻略するために、武田勝頼は諏訪原城、徳川家康が横須賀城を築く…