小網ダム
栃木県日光市を流れる鬼怒川の本流にある昭和33年完成の重力式コンクリートダムが小網ダム(こあみだむ)。堤高23.5m、湛水面積10haという小さなダムですが、ダムカードも用意されています。ダムの横が野岩鉄道会津鬼怒川線の…
栃木県日光市を流れる鬼怒川の本流にある昭和33年完成の重力式コンクリートダムが小網ダム(こあみだむ)。堤高23.5m、湛水面積10haという小さなダムですが、ダムカードも用意されています。ダムの横が野岩鉄道会津鬼怒川線の…
栃木県日光市の湯西川温泉を流れる湯西川に平成24年に完成した鬼怒川上流ダム群、4番目のダムが湯西川ダム。堤高119.0mの重力式コンクリートダムで、利根川の治水と宇都宮市、茨城県、千葉県の都市用水(上水道、工業用水)など…
栃木県日光市、男鹿川(鬼怒川の支流)に利根川の治水と発電を目的に、昭和31年に完成した重力式コンクリートダムが五十里ダム(いかりだむ)。ダムの完成で誕生したダム湖が五十里湖(いかりこ)で、ダム・ダム湖横を国道121号が…
栃木県日光市川治温泉を流れる鬼怒川の本流に昭和58年に完成した多目的ダムが川治ダム。堤高140.0mのアーチ式コンクリートダムで、アーチダムとしては黒部ダム(富山県立山町)、温井ダム(広島県安芸太田町)、奈川渡ダム(長野…
栃木県日光市の中禅寺湖畔にある栃木県立日光自然博物館の分館として機能するのがイタリア大使館別荘記念公園。明治30年代から中禅寺湖は外国人の別荘地として人気となり、諸外国の外交官の避暑地として発展。そのなかのひとつがイタリ…
栃木県日光市の中禅寺湖畔の風光明媚な一画に復元されているのが戦前の英国大使館別荘。一帯は英国大使館別荘記念公園として整備されています。イギリスの外交官で明治維新に大きな影響を与えたアーネスト・サトウの別荘として明治29年…
神橋を起点に日光の歴史と自然が一緒に楽しめるよう設定されたモデルコースが日光史跡探勝路(滝尾神社コース)。神橋~滝尾神社のコースは東照宮の裏山を一周するもので、行程は約3km、ゆっくり歩いて3時間程度で踏破できます。今は…
延暦9年(790年)、日光開山の勝道上人(しょうどうしょうにん)が男体山(なんたいざん)に登拝し、本宮(現・本宮神社)を建立したのが始まりという古社、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)。日光東照社(現・日光東照…
日光火山の清冽な伏流水が湧き出す日光山内ですが、名前がついた有名な水は限られています。日光二荒山神社の神苑(有料エリア)にある二荒霊泉は、本殿背後にある恒霊山(こうれいざん)から湧き出す「薬師の霊泉」と、別宮・滝尾神社に…
日光二荒山神社の神苑(有料エリア)にある唐銅製の灯籠が、化け灯籠。鎌倉時代の承応5年(1292年)、鹿沼勝綱の寄進と伝えられます。江戸時代に、日光山を夜間警護した奉行所の侍が灯籠に灯された明かりを亡霊の炎と勘違いし、日本…
日光二荒山神社の神苑(有料エリア)内にあるのが神輿舎(しんよしゃ)。文字通り例祭『弥生祭』に使われる神様が乗る神輿(みこし)を奉安する建物で、神輿3基が収蔵されています。二荒山神社の神輿舎は日光山においては貴重な江戸時代…
日光二荒山神社の祭神3柱、大己貴命(おおなむじのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀る神殿が本殿。2代将軍・徳川秀忠の発願で、元和5年(1619年)の創建。正保2年(1…
日光二社一寺のひとつ、二荒山神社。拝殿は、元和5年(1619年)に創建され、徳川家光による寛永の大造替後の正保2年(1645年)、本殿の移転に伴い再建されたもので国の重要文化財に指定、世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産…
日光二荒山神社神苑(有料エリア)内にある社殿のひとつが大国殿。桁行3間、奥行3間、つまりは6m四方の宝形造、杮葺き(こけらぶき)で、国の重要文化財、そして世界文化遺産「日光の社寺」の構成資産になっています。祭神は大己貴命…
日光二荒山神社の神苑(有料エリア)にある末社のひとつが朋友神社(みともじんじゃ)。学問・知恵の神様である少名彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神の社で、現在の建物は江戸中期の建造で、国の重要文化財に指定、世界文化遺産「日…
日光二荒山神社神苑内(有料エリア)にある末社のひとつが日枝神社(ひえじんじゃ)。桁行1間、梁間1間、つまりは2m四方という小さな社殿ですが国の重要文化財に指定され、日光山と天台宗との結びつきを示す貴重な歴史遺産でもあり、…
天平神護2年(766年)、勝道上人による四本龍寺創建(日光開山)がルーツという神仏習合の日光山の歴史を今に伝える天台宗の古刹が日光山輪王寺。日光山内で最も歴史が古く、明治4年の神仏分離令以降は東照宮、二荒山神社とあわせて…
日光東照宮の参詣ルート途中、陽明門下の西側に位置するのが日光山輪王寺の薬師堂。日光東照宮の境内図には本地堂としるされているのは、経蔵とともに明治4年の神仏分離以降もその帰属が日光山輪王寺と日光東照宮の間で確定していないた…