日光山輪王寺・三仏堂
8世紀末に、日光を開山した勝道上人の創建による四本龍寺を起源とし、日光山の中心寺院として発展した日光山輪王寺。その本堂にあたるのが三仏堂。寺伝では嘉祥元年(848年)創建という日光山の信仰の中心的な堂で、現存する建物は正…
8世紀末に、日光を開山した勝道上人の創建による四本龍寺を起源とし、日光山の中心寺院として発展した日光山輪王寺。その本堂にあたるのが三仏堂。寺伝では嘉祥元年(848年)創建という日光山の信仰の中心的な堂で、現存する建物は正…
日光山輪王寺の護摩が焚かれる大護摩堂の並びに建っているのが護法天堂。毘沙門天、弁財天、大黒天を祀る堂として建立されましたが、祀られていた3神は、七福神として大護摩堂に祀られています。創建年は定かではありませんが(江戸時代…
日光二社一寺のひとつ、日光山輪王寺の中心となる三仏堂の北側に建つのが大護摩堂。文字通り、護摩が焚かれるお堂で、通常は1日3回(7:30 、11:00、 14:00)の護摩祈願(護摩3座)が行なわれています。祈願を希望する…
神仏習合の日光山の歴史からすれば、日光二社一寺の筆頭ともいえるのが日光山輪王寺。3代将軍・徳川家光の霊廟として、家光没後の慶安4年、遺命により造営されたのが大猷院(たいゆういん)です。ちなみに、「大猷院」は徳川家光が死後…
3代将軍・徳川家光の霊廟である日光山輪王寺大猷院(にっこうさんりんのうじたいゆういん)。その奥院となるのが最奥にある徳川家光の廟所(墓所)ですが、その入口に建つのが皇嘉門(こうかもん)。切妻造、銅瓦葺きの楼門で、中国・明…
徳川家光の霊廟である日光山輪王寺大猷院(にっこうさんりんのうじたいゆういん)。大猷院は徳川家光の諡号(しごう=おくり名)ですが、歴代の将軍が参詣し、着座したのが大猷院廟の拝殿。大猷院廟は、その奥に相の間、本殿と続く造りと…
日光山輪王寺大猷院の拝殿・相の間・本殿の入口に建つのが唐門。東照宮の拝殿・石の間・本殿前の唐門と同様で、左右に拝殿・相の間・本殿を囲む瑞垣が延びています。承応2年(1653年)築で国の重要文化財、世界遺産「日光の社寺」の…
徳川家康(東照大権現)を祀る日光東照宮の陽明門前にも鐘楼(しょうろう)と鼓楼(ころう)が参道を挟んで並んで建っていますが、徳川家光(大猷院)を祀る日光山輪王寺大猷院(にっこうざんりんのうじたいゆういん)にも、夜叉門前に鐘…
3代将軍・徳川家光の廟所、日光山輪王寺大猷院(にっこうざんりんのうじたいゆういん)の境内は、地形を活かしての石段が続き、人界から天上界に昇って行くような印象です。二天門からさらに屈曲した階段を上ると夜叉門(やしゃもん)。…
3代将軍・徳川家光の廟所、日光山輪王寺大猷院(にっこうざんりんのうじたいゆういん)で、仁王門から石段を上った先にある二番目の門が二天門です。向かって左手に持国天、右手に増長天の二天を祀るのが名の由来です。近年まで増長天は…
徳川家康の廟所の日光東照宮に対し、日光山輪王寺の大猷院(たいゆういん)は寛永の造替を行なった徳川家光の廟所。別当所(管理する僧院)の龍光院前に建ち並ぶ石灯籠群は、諸大名が奉納したもので、「石の灯籠」として国の重要文化財、…
3代将軍・徳川家光は将軍現職のまま、48歳という若さで江戸城で没しています。遺言に従って、4代将軍・徳川家綱が創建したのが日光山輪王寺大猷院(にっこうさんりんのうじたいゆういん)。仁王門と二天門の間から脇に分かれる参道の…
3代将軍・徳川家光の廟所である日光山輪王寺大猷院(にっこうざんりんのうじたいゆういん)。仁王門をくぐった先にあるのが御水屋(おみずや)。参詣者がここで手や口を清める場所で、仁王門と二天門の間に設けられています。切妻造、銅…
3代将軍・徳川家光の廟所である日光山輪王寺の大猷院(たいゆういん)。正門にあたる仁王門を入ったすぐ左手に建つのが宝庫です。とくに表示がないので見逃しがちですが、江戸時代初期の承応2年(1653年)築で国の重要文化財。内部…
日光東照社(現・日光東照宮)の寛永の造替で日光山を整えた3代将軍・徳川家光の廟所が日光山輪王寺の大猷院(たいゆういん)。その入口に建つのが仁王門です。密迹金剛力士(みしゃくこんごうりきし)と那羅延金剛力士(ならえんこんご…
徳川家康の遺言により徳川2代将軍・徳川秀忠が元和3年(1617年)に造営し、3代将軍・徳川家光が現在の形へと大改修(寛永の造替)を行なった徳川家康の霊廟が、栃木県日光市の日光東照宮。「日光を見ずして結構と言うなかれ」とい…
日光東照宮でもっとも重要な空間が御本社で、拝殿・石の間・本殿の3つの建物で構成されています。拝殿左右には、「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があります。3代将軍・徳川家光の命により寛永13年(1636年)に造営されたも…
日光東照宮は、徳川家康の廟所として築かれた神仏習合の霊山。まずは久能山に祀り、その後、日光山に改葬という家康の遺言を受け、天台宗の天海大僧正の主張(山王一実神道で祀る)で東照大権現として祀られましたが、その墓所が日光東照…