見沼代用水東縁
埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水東縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、…
埼玉県上尾市・さいたま市・川口市、東京都足立区を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水東縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、…
埼玉県上尾市・さいたま市・川口市を流れる江戸時代に開削された農業用水が見沼代用水西縁。徳川家康の関東入封後、関東郡代・伊奈忠治が八丁堤(堤防)を築いて、農業用ため池の見沼を築きますが、徳川吉宗の新田開発で、見沼を干拓し、…
大分県豊後大野市緒方町にある江戸時代(正保年間)に開削された農業用水路が緒方井路(おがたいろ)。緒方平野を潤して、「緒方五千石」と称された岡藩内随一の良田を生み出した水路で、花水車も設置されています。農林水産省の「疎水百…
江戸時代から関東を中心に、各地に農業用水が開削されるようになりましたが、日本三大農業用水に数えられるのは、埼玉県と東京都を流れる見沼代用水、同様に埼玉県・東京都の葛西用水路、そして愛知県の明治用水です。3つの用水とも今も…
利根川から取水し、享保13年(1728年)に完成した農業用水が見沼代用水。現在も利根大堰で取水し、埼玉県行田市、さいたま市、川口市など14市2町、85kmの農業用水路が流れています。埼玉県・東京都の葛西用水路、愛知県の明…
愛知県豊田市水源町で、矢作川から取水し、岡崎市、安城市、西尾市、碧南市、高浜市、刈谷市、知立市に水を供給する近代農業用水が明治用水。明治13年に完成した用水は、農林水産省の疏水百選、国際かんがい排水委員会(ICID)の世…
埼玉県熊谷市などを流れる農業用水路、備前渠用水路(びぜんきょようすいろ)は、徳川幕府の命で開削した埼玉県最古の用水路。慶長9年(1604年)、関東郡代・伊奈忠次(いなただつぐ)が開削したもの。農林水産省の疏水百選、国際か…
茨城県つくばみらい市北山にある小貝川の堰が福岡堰(ふくおかぜき)。同じ小貝川の岡堰(取手市)、豊田堰(龍ケ崎市)とともに関東三大堰のひとつで、農林水産省による疏水百選にも選定。一帯2.7haは、福岡堰さくら公園として整備…
千葉県の印西市、佐倉市、成田市、八千代市、栄町にまたがる湖面面積11.55平方キロの湖が印旛沼(いんばぬま)。利根川下流部にある湖沼で、北印旛沼、西印旛沼、中央排水路に分かれ、ローマ字のWの字に似た形状に。もともとは香取…
埼玉県草加市を流れる葛西用水の両岸には昭和53年、草加八潮工業会、草加市観光協会などにより、100本の桜が植栽され、その後、拡充され今では450本もの桜並木に成長。葛西用水桜並木として、開花期(例年3月下旬〜4月初旬)に…
群馬県前橋市の中心部を流れる広瀬川のほとりに整備された、緑あふれる緑地で、広瀬川河畔緑地緑道が整備されています。広瀬川は利根川水系の一級河川で、江戸時代に灌漑用水として整備され、農林水産省選定の「疎水百選」のひとつ。「水…
群馬県甘楽町小幡を流れる雄川堰は、標高1370mの稲含山を水源とする雄川の中流部、厳島地区から取水し、武家屋敷の生活用水にもなった水路。現存する用水は慶応元年(1865年)に築かれたもので、環境省の「名水百選」、農林水産…
水利が悪く不毛の大地だった郡山の安積原野(あさかげんや)に猪苗代湖からの水を引いた明治時代の大事業で開削された用水が安積疏水(あさかそすい)。琵琶湖疏水(滋賀県、京都府)、那須疎水(栃木県)と並んで日本三大疎水にも数えら…
那須野ヶ原に農業、飲料の用水を供給するために、明治18年、栃木県令(県令=廃藩置県、藩知事廃止後、明治4年〜19年に置かれた県の長官)・三島通庸(みしまみちつね)、さらには地元の実業家・矢板武(やいたたけし)、印南丈作(…
熊本県山都町(やまとちょう)にある全長79m、石垣総面積1802平方という日本最大の石造アーチ式水路橋が、国宝・通潤橋。嘉永7年(1854年)、白糸台地の水不足解消のために矢部郷の惣庄屋(そうじょうや)・布田保之助(ふた…
都が東京に移った後の京都の発展の起爆剤とするため、琵琶湖の湖水を京都市街へと通し、発電、灌漑、さらには物資や旅客の運搬に活用しようという明治初期の一大プロジェクトが琵琶湖疏水建設。レンガや石で組まれた構造物には、明治の元…
三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負…
滋賀県の琵琶湖と京都市を結ぶ琵琶湖疏水(びわこそすい/明治23年4月9日開通)は、発電や灌漑に利用するだけでなく、舟運にも使われましたが、途中の勾配を克服するため、傾斜鉄道(インクライン)を利用しました。伏見と蹴上にあり…