武田神社(躑躅ヶ崎館跡)
大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て…
大正8年、武田信玄を祭神として創建された神社で甲斐の国の総鎮守。場所は武田信虎、信玄、勝頼の武田氏3代、63年間の居城だった、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡。1575(天正3)年に長篠の合戦で大敗した勝頼が、館を捨て…
弘前公園(弘前城跡)にあるのが「日本最古のソメイヨシノ」。単一のクローンで、病害にも弱いというソメイヨシノは60年〜80年が寿命ですが、「日本最古のソメイヨシノ」は、明治15年に植えられたもの。脅威の長寿には、りんごで培…
天守閣、櫓(やぐら)、城門など、築城時の形態がそのまま残る弘前城の城址公園。桜の名所として有名で、4月下旬〜5月上旬に、ソメイヨシノ、枝垂桜(シダレザクラ)、カスミザクラなど80品種、5000本の桜が咲き乱れ、「日本さく…
津軽藩の2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が1611(慶長16)年に築いた城が弘前城。一帯は弘前公園として整備されゴールデンウィーク前後には5000本の桜が咲き、「日本さくら名所100選」にも選定。弘前城は全国でも珍し…
盛岡城は、鶴ヶ城(若松城)、白河小峰城と並び「東北三名城」に数えられる盛岡城の城跡を整備した公園。盛岡城は不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれ、南部藩20万石の藩庁だった城。現在は岩手公園として整備され、「日本100名城…
千秋公園は、秋田藩20万石の藩主佐竹氏12代にわたる居城、久保田城跡に整備された公園。久保田城は本丸と二の丸の周囲に内濠を巡らせ、4棟の平屋と8棟の櫓を築いただけの城で、石垣も天守も築かれていませんでした。「日本100名…
仙台城(青葉城)は、1610(慶長15)年に伊達政宗が築城、以後270年間伊達家の居城となっていた東北の名城。将軍・徳川家康の警戒を避けるためあえて天守は設けられていませんでしたが、地形を生かした壮大な山城でした。仙台市…
宮城県多賀城市、仙台平野が一望できる丘陵の末端を利用して造られた古代の城跡で、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地だったの多賀城跡。東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、724(神亀元)…
山形県山形市にある山形藩の藩庁だったのが山形城。山形城の二の丸跡と三の丸跡の一部は国の史跡に指定され、本丸と二の丸跡は霞城公園として整備されています。入口の二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして、史実に従い…
白河の関がある白河に建つ奥州関門の名城で国の史跡。盛岡城、若松城とともに東北三名城のひとつで、豊臣時代には会津領となり、関ヶ原の合戦では上杉家の家康軍防御の拠点として機能しました。藩政時代には7家21代の居城に。一帯は城…
会津のシンボルともいえる鶴ヶ城(若松城)。本丸、二の丸、三の丸、北出丸、西出丸があり、本丸跡に鉄筋コンクリート造りの天守が再建され、内部は郷土博物館に。本丸、二の丸一帯は国の史跡となり、鶴ヶ城公園として整備されています。…
福島県二本松市にある平山城で、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414(応永21)年頃に築城したのが始まり。藩政時代には二本松藩主丹羽氏の居城となり、近世的な天守が築かれたのも丹羽長秀の孫・光重が10万700石で入城した際…
高遠城(たかとおじょう)は、武田氏が伊那侵攻の拠点とした城。江戸時代に入り、上伊那の城の大半が廃されましたが、明治維新まで大名の居城として残されました。城跡には、1500本のコヒガンザクラが植えられ、全国でも屈指の桜の名…
柴田勝家の甥・柴田勝豊(しばたかつとよ)が天正4年(1576年)、北ノ庄城(福井城)の支城として築城した城で、藩政時代には丸岡藩の政庁となりました。天守は江戸時代初期のままの状態で現存し、現存する日本最古級の天守となって…
富山城に隠居した加賀藩2代藩主・前田利長が1609(慶長14)年築城した高岡城の城址。隠居城として使われたのは短期間で1615(慶長20)年の一国一城令で廃城となっています。「日本100名城」にも富山県で唯一選ばれ、日本…
北条氏の本城である小田原城の支城として標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城。高尾山とは中央本線・中央自動車道が通る谷を隔てて北側の山上に位置する城です。916(延喜16)年、山の頂に八王子権現が祀られたのが…
大日如来を本尊とする真言宗の古刹で正式名は金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼうばんなじ)。室町幕府を開いた足利尊氏で一躍有名になった足利一族の発祥の地で「足利氏館」として「日本100名城」にも選…
徳川御三家・水戸徳川家の居城、水戸城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城。大規模な土塁と深い堀によって防備された城で、江戸時代には三階櫓が代用天守として水戸のシンボルになっていました。土塁や堀、藩…