彦根城・馬屋
彦根城の佐和口を入ったところある藩主用の馬屋は、元禄年間(1688年〜1703年)築で、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた場所です。日本の城郭の中で、城内に往時の馬屋が現存するのは彦根城だけで、国の重要文化財に指定。…
彦根城の佐和口を入ったところある藩主用の馬屋は、元禄年間(1688年〜1703年)築で、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた場所です。日本の城郭の中で、城内に往時の馬屋が現存するのは彦根城だけで、国の重要文化財に指定。…
彦根城の中堀に開く、南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに4つの門のひとつが佐和口。その佐和口を守るのが佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)で、国の重要文化財。大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門です。二階二重の櫓…
彦根城には、天守のない他の城なら十分に代用天守となるような立派な三重櫓が2つ築かれています。ひとつが山崎曲輪(やまざきくるわ)の三重櫓で、こちらは明治維新後に破却されていますが、西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら)…
彦根城本丸への登城道で最後の関門として立ちふさがるのが太鼓門櫓(たいこもんやぐら)。国の重要文化財に指定される太鼓門櫓は、門櫓の南側に屈曲に続櫓が備えられています。登城合図用の太鼓の音を響かせるためなのか(定かでありませ…
彦根城・天秤櫓と天守の間にあるのが城内と城下に時を知らせた時報の鐘。元々は鐘の丸にありましたが、岩盤に反響して鐘の音が割れることが多かったので城下一帯に響き渡るようにと井伊直滋(いいなおしげ)の考案により現在地に移された…
正面から眺めると天秤のように左右が対となった彦根城の天秤櫓(てんびんやぐら)は、表門や大手門を入った道が合流する鐘の丸の空堀に面して建てられている要の櫓。鐘の丸とは廊下橋で結ばれている。空堀は表側の防備のためにある堀で、…
彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守と…
福山城は、徳川幕府の西国鎮護の拠点として、福山藩初代藩主・水野勝成(みずのかつなり=徳川家康のいとこ)が、元和5年(1619年)に福山藩10万石の藩庁として、築いた城。慶長20年(1615年)の一国一城令後に築城された近…
福山城の本丸東側、月見櫓の北側に再建されているのが鏡櫓。明治維新の廃城令で破却され、昭和48年に福山市名誉市民・村上銀一(ハワイで成功した日系移民)らの寄付により、コンクリート造りで再建された復興櫓。公式には「外観復元が…
福山城の本丸南側に建つ美しい櫓。伏見櫓同様、徳川時代の伏見城から移築された櫓と伝承されますが、第2次世界大戦の戦火で焼失し、現在の櫓は昭和41年にコンクリートで造られた復興櫓。南側正面にある石落しの有無(復興櫓には1階南…
福山城本丸に現存する三層三階の隅櫓。元和8年(1622年)、水野勝成による福山城築城に際して、2代将軍・徳川秀忠の命により伏見城・松の丸東櫓から移築した櫓のため、伏見櫓の名があります。今も往時と変わらぬ姿を留めています。…
全国に数ある城郭のなかでもっとも新幹線停車駅に近いのが広島県福山市の福山城。山陽新幹線・福山駅北口に出るとすぐに福山城公園の入口で、坂道を上れば筋鉄御門(すじがねごもん)。福山城本丸の正門で福山城築城に際して、伏見櫓と同…
築城した水野勝成が徳川家康の従兄弟(いとこ)ということで福山城には家康再建の伏見城内から多くの建物が移築されています。御湯殿も、本丸御殿(伏見城表居間)とともに伏見城から移築された建物で、戦前は国宝に指定されていましたが…
築城当時の福山城の絵図面にも描かれている遺構が鐘櫓。城下や近隣諸村に時を告げ、緊急時に武士を召集する太鼓も備えていました。城郭内に鐘櫓(鐘楼)が現存するのはほかには彦根城などにあるだけで非常に稀な例です。往時には鐘が吊ら…
新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50…
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…
山口県萩市街の北西、海に突き出すようにそびえる指月山(しづきやま/標高145m)の山頂と山麓に、慶長9年(1604年)から4年の歳月をかけ、毛利輝元(もうりてるもと)が築城した、平山城の城跡が萩城跡(はぎじょうせき)。平…
広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれる平城で、慶長4年(1599年)、太田川河口の三角洲に毛利輝元により築城されました。鯉城の名はこの付近が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことに由来。現在は内堀から先、二の丸、本丸のみ残…