瓜割の滝
福井県若狭町の国道27号(丹後街道)から天徳寺側に入ったところにある落差3mほどの滝が瓜割の滝(うりわりのたき)。落差がわずかに3mほどなのに、国土地理院の地形図に滝の名が入っているのは、湧水の滝で、その湧き出る水は環境…
福井県若狭町の国道27号(丹後街道)から天徳寺側に入ったところにある落差3mほどの滝が瓜割の滝(うりわりのたき)。落差がわずかに3mほどなのに、国土地理院の地形図に滝の名が入っているのは、湧水の滝で、その湧き出る水は環境…
「名水と朝市のまち」福井県大野市の閑静な住宅街の中にある有名な湧き水、御清水(おしょうず)は、環境省の名水百選に選ばれた名水。金森長近が大野城を築城した際に、内濠の水の源泉とするため40間四方の水たまりを設けたというのが…
福井県勝山市の平泉寺白山神社は養老元年(717年)、白山を開いた泰澄(たいちょう)が白山登山の際に一林泉を発見し、この地が神明の地であることを悟り、社を建立したのが始まりという古社で、白山の越前側登山口。古くは「平清水」…
美馬市脇町の中心を流れる大谷川の堰堤で、大谷川砂防堰堤が正式名ですが、砂防の重要性を説いたオランダ人技師(内務省技術顧問)・ヨハニス・デ・レイケ(ヨハニス・デ・レーケ/Johannis de Rijke)の指導で明治19…
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」、経済産業省の近代化産業遺産、さらに土木遺産や、重要文化的景観にも選定されるのが熊本県宇城市の三角西港。そのシンボル的な存在が、明治時代の築港が今も残る石…
熊本県宇城市にある三角西港は、宮城県の野蒜港、福井県の三国港と並ぶ明治3大築港のひとつで、明治17年から4年の歳月を費やして造られた石積みの港。730mにもおよぶ石積埠頭や石積排水路が築港当時のままに現存し、世界文化遺産…
熊本県宇城市(うきし)にある三角西港は、明治時代に、三池炭鉱の石炭輸出のため、国策で築かれた日本で最初の近代的な港湾。往時の石積埠頭などがそのままに残され、世界文化遺産、経済産業省の近代化産業遺産、さらに文化庁の重要文化…
宮城県の野蒜港、福井県の三国港と並ぶ明治三大築港のひとつ三角西港は、宇土半島の西端、熊本県宇城市の港湾。明治20年に3年以上の歳月をかけ、当時の国家的事業として内務省嘱託オランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルによって…
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の23構成資産のひとつが熊本県荒尾市・福岡県大牟田市にある三井三池炭鉱の万田坑跡(まんだこうあと)。三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑で、明治32築の…
岡山県美咲町の標高400mの山間地に、大きな谷全体にすり鉢状に広がる42.2ha、850枚という大きな棚田が大垪和西の棚田(おおはがにしのたなだ)。農林水産省の「日本の棚田百選」にも選定されています。棚田保存地区設置条例…
菊池市の菊池渓谷にある滝で「日本の滝百選」にも選定されているのが四十三万滝。環境省の「名水百選」に選ばれた菊池水源は菊池川の源流ですが、湧き出した水は阿蘇外輪山の外側斜面を急流となって流れ下っています。四十三万滝の落差は…
広島県安芸太田町の井仁地区は、標高500m~550mの山里。集落全体が山に囲まれ、すり鉢状の傾斜地となっており、そこに324枚(8ha)の棚田が築かれています。それが日本の棚田百選に選定された井仁の棚田。井は丸い、仁は集…
北九州港の若戸渡船若松渡場のある南海岸通りから東海岸通りにかけての海岸には、明治25年に若松港が築港された時代の石積護岸が残されています。この護岸、筑豊炭鉱の石炭を積み出すために築かれたもの。同様に、大正8年築の旧古河鉱…
久留米藩を250年治めた、21万石の藩主有馬氏の居城跡が福岡県久留米市にある久留米城跡。筑後川沿いの小高い岡に築かれた平山城で、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州国割で、毛利秀包(もうりひでかね=小早川秀包)が3万…
旧秋田商会ビルは、大正4年に建てられた海運会社・秋田商会の事務所兼住居だったもの。秋田商会は日清戦争以後に興った海外進出機運にのって下関に創設された海運会社で、海外貿易を主な業務にしていました。屋根の塔屋が印象的な和洋折…
佐賀県の東松浦半島の西側、仮屋湾を望む玄海町浜野浦地区にある、海に向かう絶景の棚田が浜野浦の棚田。国道204号沿いの左右に展望デッキがある広い展望台と2つの駐車場、トイレも整備され、手軽に見学、そして撮影が可能です。展望…
佐賀県唐津市、八幡岳(標高764m)の北側斜面に築かれた40ha(耕地面積は36ha)の棚田が蕨野の棚田(わらびののたなだ)で、農林水産省の日本の棚田百選に選定されているほか、周辺の山林を含めた景観が平成20年に国の重要…
鎌倉七口の一つに数えられるのが名越切通(なごえきりどおし)で、幕府のあった鎌倉と三浦半島側(逗子市小坪)を結ぶ街道の切通し。鎌倉時代編纂の歴史書『吾妻鏡』にも名越坂という名で登場する、鎌倉に入る歴史ある道です。現在は神奈…