金隈遺跡
福岡平野の東を流れる御笠川(みかさがわ)に沿ってのびる月隈丘陵(つきぐまきゅうりょう)の標高30mの丘陵上にある弥生時代の共同墓地の遺跡が金隈遺跡(かねのくまいせき)。金隈遺跡から出土したのは、弥生時代の甕棺墓(かめかん…
福岡平野の東を流れる御笠川(みかさがわ)に沿ってのびる月隈丘陵(つきぐまきゅうりょう)の標高30mの丘陵上にある弥生時代の共同墓地の遺跡が金隈遺跡(かねのくまいせき)。金隈遺跡から出土したのは、弥生時代の甕棺墓(かめかん…
天平13年(741年)に聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって諸国に建てられた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつで、豊前国に建てられた国分寺の跡が福岡県京都郡みやこ町にある豊前国分寺跡。現存する堂宇は後継寺院として藩政…
宋から帰国した禅宗の始祖、栄西(えいさい)が源頼朝に寺地を賜り建久6年(1195年)に開山した福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺が安国山聖福寺(しょうふくじ)。博多居住の宋人の百堂跡に創建された日本最初の本格的な禅寺。…
天平宝字元年(757年)に伊勢・松坂(現在の三重県松阪市)の櫛田神社から大幡大神(櫛田大神)の分霊を勧請して創建と伝えられている古社(平清盛創建という説もあります)が福岡市博多区に鎮座する櫛田神社。博多の総鎮守として信仰…
慶長7年(1602年)、初代小倉藩主となった細川忠興(ほそかわただおき)は小倉城の天守などを建造したのと同時に、紫川の東側に東曲輪を縄張りしています。以前からの城下町だった西側(西曲輪)と結ぶために紫川に橋を架橋。これが…
森鷗外(本名・森林太郎)は、明治32年6月19日、福岡県小倉町(現・北九州市小倉区)の小倉城内にあった帝国陸軍第12師団軍医部長として着任し、明治35年3月、東京の第1師団軍医部長に就くまで37歳~40歳の2年9月間、小…
関門海峡の南、門司の背後に聳える標高362.2mの山が門司港レトロ地区から登山できるという風師山(かざしやま)で、北九州国定公園の一部。風頭山(かさがしらやま)とも呼ばれ、九州鉄道記念館前の門司税務署前交差点から標高30…
関門海峡で最も狭い下関市壇ノ浦〜北九州市門司区和布刈間の早鞆瀬戸(はやとものせと)に面した臨海公園。ノーフォーク広場は北九州市の姉妹都市である米国バージニア州ノーフォーク市の海浜公園をイメージして造成された園地でめかり観…
関門海峡のもっとも狭まった部分、九州・門司側の岬の高台が標高175.0mの古城山。その一帯、早鞆瀬戸(はやとものせと)に面する面積36haの自然公園が和布刈公園(めかりこうえん)で、バードウォッチングやお花見の名所として…
関門海峡、赤坂海岸を眼下にする標高76mの手向山を中心に、シイやタブなどの自然林で構成される北九州市小倉北区にある自然公園、手向山公園(たむけやまこうえん)。宮本武蔵と佐々木小次郎の碑が決戦の行なわれた小倉藩領・巌流島を…
小説家・松本清張は、福岡県企救郡板櫃村(現・北九州市小倉北区)出身(正式には広島市生まれで、幼少に板櫃村に転居)。昭和32年〜33年に雑誌『旅』に連載の『点と線』がベストセラーになり社会派推理小説ブームを巻き起こした小説…
小倉藩初代藩主・細川忠興(ほそかわただおき)が元和3年(1617年)、豊前国の総鎮守として小倉鋳物師町に創建した神社(当初は祇園社)。昭和9年に旧小倉城内に移築され、厄払いの神として有名な須佐之男命(すさのおのみこと)な…
小笠原氏の別邸であった下屋敷(御遊所)跡を復元した大名庭園が小倉城庭園。江戸時代の武家の書院を再現し、茶室や展示棟になっています。庭園ゾーン、書院ゾーン、体験ゾーン、展示ゾーンの4つのエリアに分かれて、庭園ゾーンの大名庭…
福岡市西区野方にある弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡が野方遺跡。周辺は野方台中央公園として整備され、野方遺跡住居跡展示館が建てられています。遺跡は、『魏志倭人伝』にも記載の古代国家、伊都国のあった糸島平野と奴国(…
文永11年(1274年)、元・高麗連合軍は3万の大軍で博多湾西部に上陸(文永の役)。その後、博多の海岸線には防塁を築いていますが、保存整備されて見学が可能なのが元寇防塁跡(今津地区)。弘安4年(1281年)の2回目の蒙古…
宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる福岡市に鎮座する古社が筥崎宮(はこざきぐう)。平安時代初期の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神託により大陸・玄海灘に面した地に、国家鎮護のため壮麗な社殿を…
福岡平野中央からやや東寄り、福岡空港の南西、福岡市博多区板付にある縄文時代末期から弥生時代後期にかけての二重環濠集落が板付遺跡(いたづけいせき)。環濠集落とは、周囲に水濠を巡らせたムラのこと。縄文時代晩期から弥生時代後期…
久留米藩を250年治めた、21万石の藩主有馬氏の居城跡が福岡県久留米市にある久留米城跡。筑後川沿いの小高い岡に築かれた平山城で、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州国割で、毛利秀包(もうりひでかね=小早川秀包)が3万…