名越切通
鎌倉七口の一つに数えられるのが名越切通(なごえきりどおし)で、幕府のあった鎌倉と三浦半島側(逗子市小坪)を結ぶ街道の切通し。鎌倉時代編纂の歴史書『吾妻鏡』にも名越坂という名で登場する、鎌倉に入る歴史ある道です。現在は神奈…
鎌倉七口の一つに数えられるのが名越切通(なごえきりどおし)で、幕府のあった鎌倉と三浦半島側(逗子市小坪)を結ぶ街道の切通し。鎌倉時代編纂の歴史書『吾妻鏡』にも名越坂という名で登場する、鎌倉に入る歴史ある道です。現在は神奈…
明治37年4月1日に開業した江ノ島電鉄の駅が極楽寺駅。駅名は近くの極楽寺、極楽寺坂切通に由来します。明治40年に江之島電氣鐵道の極楽寺隧道が完成し、明治40年8月16日、極楽寺から鎌倉町の大町(現在廃止)まで延伸していま…
鎌倉七口のうちもっとも由比ヶ浜寄りにあるのが極楽寺坂切通。鎌倉時代に鎌倉七口の呼称はなく、江戸時代初期からの呼び名。それでも極楽寺坂切通は、元弘3年(1333年)、新田義貞鎌倉侵攻の際の激戦地のひとつになっています。極楽…
鎌倉七口の一つ、極楽寺坂切通の途中に建つ空海ゆかりの古刹が成就院(じょうじゅいん)。寺伝によれば空海(弘法大師)が諸国巡礼の際、100日間にわたって虚空蔵求聞持法(虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える修行)を行なった霊跡と…
極楽寺坂切通し近く、江ノ島電鉄線路脇に建つ極楽寺は、正元元年(1259年)、北条重時(ほうじょうしげとき)が深沢(現・鎌倉市西部)にあった念仏寺をこの地に移したという真言律宗の寺。文永4年(1267年)、忍性(にんしょう…
由比ガ浜の市街から山に突き当たる鎌倉市長谷に建つ、日蓮宗の古刹、光則寺(こうそくじ)。開山は日蓮の高弟、日朗(にちろう)。開基は北条時頼の家臣、宿屋光則(やどやみつのり)とその父・行時。日蓮上人が歴史に残る『立正安国論』…
埼玉県秩父郡横瀬町にある寺坂棚田は、面積5.2ha(田んぼ4ha)という埼玉県最大規模の棚田。武甲山を借景とする素晴らしい眺めから訪れる人が多いのも特徴。初夏の田植え、初秋の黄金の稲穂、朱色の彼岸花(9月中旬頃)など、里…
埼玉県幸手市の総鎮守で、日光街道と御成街道が交差する幸手宿の鎮守社が幸宮神社(さちのみやじんじゃ)。縁起のいい名前でパワースポットとして注目される社は、江戸時代初期の創建。寛保2年(1742年)に利根川の水害で社殿が流失…
鎌倉市大町にある、日蓮宗の本山が妙本寺。比企谷(ひきがやつ)と呼ばれる谷戸(やと=谷状の地形)は鎌倉時代に有力御家人・比企能員(ひきよしかず=源頼朝の乳母である比企尼の甥)一族の屋敷があった場所。比企一族滅亡後に日蓮が法…
武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩の藩庁が岩槻城(いわつきじょう)。岩付城、岩附城、白鶴城、浮城とも呼ばれた城跡は岩槻城址公園として整備されています。中世には岩付太田氏の居城でしたが、徳川家康…
奈良時代に編纂された歴史書の『日本書紀』、『古事記』には日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国遠征の帰路、伊吹山(岐阜県)で病となり、大和国(現:奈良県)へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなり、陵墓が築かれたとあります…
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…
三重県鈴鹿市にある全長92m、後円部の直径64m、前方部の高さ15.5mと、三重県下最大の帆立貝式古墳が白鳥塚古墳。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身で『古事記伝』の著者でもある本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(…
昭和57年8月25日にリリースされたのが演歌歌手・鳥羽一郎のデビューシングルで、オリコンチャート上では約29万枚の売上を記録した『兄弟船』。鳥羽一郎の代表曲ともなったこの『兄弟船』歌碑がパールロード途中の鳥羽展望台(三重…
昭和6年3月17日に参宮急行電鉄線(後に近鉄に吸収)の終着駅、伊勢神宮の玄関駅として建設された宇治山田駅は、私鉄の駅舎としては有数のクラシックさと豪華さで、国の登録有形文化財の指定を受けています。3階建て、間口120mと…
内宮宇治橋から約800mにわたり伊勢独特の切妻入りの建物が建ち並んでいますが、これがおはらい町。かつての参宮街道の一部で、付近には明治の初めまで、伊勢参りの人々をもてなす御師の家(おんしのいえ)が建ち並んでいました。神宮…
太くて、少し柔らかめのうどんに、たまりベースのタレをかける、これが伊勢うどんの概略。大正12年創業の「まめや」は、4代目豆谷清好(まめやきよし)さんとその母・好子さんが、家族で切り盛りする伊勢うどんの名店。自家製麺の麺は…
江戸や大坂など、伊勢を目ざす長旅の人をもてなしたのが、伊勢の鰻。関東、関西の両方の旅人を納得させるために東西融合の独特の料理法を編み出したのだという。それを今に伝えるのが外宮前の「喜多や」です。使ううなぎは地元産というわ…