屋島ドライブウェイ
標高293mに位置する屋島山頂の南嶺と屋島山麓を結ぶ、全長3.7kmの屋島登山道路が屋島ドライブウェイ(高松市道屋島東町38号線)。平成29年7月20日に無料化され、ことでんグループの管理から高松市の管理へと移管。道路が…
標高293mに位置する屋島山頂の南嶺と屋島山麓を結ぶ、全長3.7kmの屋島登山道路が屋島ドライブウェイ(高松市道屋島東町38号線)。平成29年7月20日に無料化され、ことでんグループの管理から高松市の管理へと移管。道路が…
慶安4年(1651年)、初代高松藩主・松平頼重が、香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大権現(徳川家康)の神廟(東照宮)を建立したのが始まりの屋島神社。山王権現としても尊崇され、文化12年(1815年)、8代高松藩主・松平頼…
天平13年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために諸国ごとに建立された国分寺ですが、越後の国分寺の位置はいまだに解明されていません。越後国の国府は、頸城郡(くびきぐん)にあったとされ、現在の上越市国府地区にあっ…
高松市の屋島最北端、瀬戸内海に突き出した岬が長崎の鼻。テーブル状になった典型的なメサ地形の屋島は、古代に屋嶋城(やしまのき)が築かれ、源平合戦では平家の水軍の拠点となりました。つまり瀬戸内の制海権を確保するための重要な地…
朱鞠内湖(しゅまりないこ)北東の母子里地区では、昭和53年2月17日に記録したマイナス41.2度を記録。これが日本国内における最寒温度の記録。国道275号沿いには、この最低記録を記念して造られた寒さをテーマにした公園「母…
屋島山上の南嶺を一巡する遊歩道の途中には7ヶ所ほどの展望台がありますが、突き出た断崖の岩が海に向かって吼えている獅子に見えることが名の由来の景勝地が獅子の霊巌展望台(ししのれいがんてんぼうだい)。高松市内はもちろん、屋島…
愛知県常滑の1.5km沖合、伊勢湾の海上島に築かれた中部国際空港(セントレア)。車で中部国際空港(セントレア)を目指す場合には、1414mの道路橋(海上橋)、セントレア大橋を渡る必要があります。セントレア大橋は、愛知県道…
屋島は南嶺と北嶺に分かれるが、屋島ドライブウェイで登る南嶺の東側の台地の縁は、屋島壇ノ浦の古戦場を見渡す一等地。一帯は談古嶺という名で知られています。その南側に位置する源平合戦古戦場展望台は、壇ノ浦を眼下に、その左手に平…
愛知県常滑市の知多半島沖1.5km、伊勢湾の海上に浮かぶ24時間運用可能な拠点空港。愛称は、セントレア。関西国際空港に次ぐ国内第2の海上国際空港として平成17年2月17日にオープン。空港ビル内には名古屋めしの店や展望風呂…
屋島南嶺東端にある談古嶺(だんこれい)は、獅子の霊巌(屋島南嶺西端)、遊鶴亭(屋島北嶺北端)と並ぶ屋島三大展望台のひとつ。明治30年、村雲日栄尼(むらくもにちえいに=伏見宮邦家親王の第8皇女)が屋島登山の折、源平合戦の史…
屋島北嶺にある展望台で、獅子の霊巌、談古嶺と並ぶ屋島三大展望台の一つが屋島北嶺の遊鶴亭展望台(ゆうかくていてんぼうだい)。大正12年、香淳皇后が命名したもの。テーブルマウンテン(メサ地形)となった屋島台地の北端に位置する…
天智天皇2年8月(663年10月)、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍の間で激戦となった白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)。その敗北の結果、大和朝廷は、北九州と瀬戸内海に…
屋島山上の四国八十八ヶ所霊場第84番札所、屋島寺の本堂横に鎮座するのが蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)。「日本三名狸」(にほんさんめいたぬき)に数えられる屋島太三郎狸(やしまのたさぶろうたぬき)を祀った社です。『平成…
安政6年(1859年)、初代ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチが箱館(現・函館)のロシア領事館内に建てた聖堂をルーツとする日本最古の正教会の聖堂。文久元年(1861年)、日本への正教伝道に尽力した修道司祭ニコライによって…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
昭和61年8月の小貝川水害の後に、旧下館市(現・筑西市/ちくせいし)に整備された遊水地が母子島遊水地(はこじまゆうすいち)。筑波山を撮影する人気のスポットですが、とくに2月14日のバレンタインデー前後と10月28日前後に…
小説家、評論家、随筆家の坂口安吾(さかぐちあんご)は、明治39年10月20日、新潟県新潟市西大畑通28番戸(現・中央区西大畑町579)に生誕。坂口家はもともとは大富豪でしたが、明治以降に没落。それでも父は衆議院議員という…
吉野山・奧千本の地主神、金峯神社から山道を15分ほど歩けば、西行庵。桜(当時は山桜)を愛した漂泊の歌人・西行は、「吉野山去年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへて まだ見ぬかたの花を尋ねん」(『新古今集』春上86)など、吉野…