オンコ公園
羅臼峠近くの幌萌にあるオンコの森。公園とはいうものの下草を刈る程度の自然公園で鹿や熊も出没。4.5haの園地に樹齢数百年というオンコ(イチイ)の大木が茂っています。周辺では先住民族の遺跡も見つかっていますが、公園ともども…
羅臼峠近くの幌萌にあるオンコの森。公園とはいうものの下草を刈る程度の自然公園で鹿や熊も出没。4.5haの園地に樹齢数百年というオンコ(イチイ)の大木が茂っています。周辺では先住民族の遺跡も見つかっていますが、公園ともども…
和歌山城の表坂を上った松の丸にある石庭。もともとは、本丸曲輪にあった本丸御殿の中庭だったのですが、大正12年に本丸御殿跡に上水道施設(現・和歌山市水道局城内給水場)を設置した際に、松の丸に移設されました。1621(元和7…
和歌山城の建つ山は、海上から見ると虎が伏せたように見えることから、虎伏山と呼ばれ、城も虎伏竹垣城という別名があります。和歌山城の別名にちなんで、昭和34年に作られたのが2代目となる虎の像です。
和歌山城西の丸の紅葉渓庭園復元を記念して、和歌山市の名誉市民・松下幸之助が寄贈し、昭和49年5月に完成した茶室。茶道の心得がなくても気軽に立礼室で抹茶を楽しむことができます。もともとこの場所には茶室の遺構があり、そこに数…
菱形になった和歌山城本丸曲輪の東の高台にあったのが本丸御殿。元和年間(1615年〜1624年)に創建されたもので、中央に七福の庭を配していました。初代・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)と正室、14代藩主・徳川茂承(とくがわも…
大正4年4月7日、和歌山城南の丸に創立された歴史ある動物園。哺乳類を主体とする童話園と水辺の鳥が羽ばたく水禽園があり、合計100余頭羽の動物を飼育展示しています。平成27年7月には、和歌山公園動物園の100周年記念事業の…
和歌山城の二之丸背後にある台所門から本丸・天守曲輪へと至る搦手(からめて=裏側)側の登城ルートが裏坂。屈曲した石段で上ると、かつて本丸には本丸裏門がありました。坂を上ると左手に本丸御殿、右手に天守の建つ天守曲輪という構図…
和歌山城の大手門の反対側、搦手側(からめてがわ=裏側)から砂の丸に入る門。門を出て、道を隔てた反対側に馬術を練習する追廻(おいまわし)があったことが名の由来になっています。1619(元和5)年、和歌山藩初代藩主の徳川頼宣…
1619(元和5)年、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)の入城後、和歌山城の表門となった一の橋南詰に建つ大手門。創建当初は一之橋御門と呼ばれていましたが、1796(寛政8)年に大手御門と改称しています。明治42年に自然倒壊し、…
1600(慶長5)年の浅野幸長入城後、和歌山城南東の虎口(こぐち=出入口)に位置する大手門として創建。1619(元和5)年、初代和歌山藩主・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)入城とともに、峡橋を渡っての参勤交代に不便などの理由…
初代紀州藩主・徳川頼宣が和歌山城の西の丸に西の丸御殿とともに造られた日本庭園が紅葉渓庭園(西の丸庭園)で、藩主の隠居所。徳川時代以前の浅野家城主時代には庭園の一部となっている山吹谷は水堀だったとか。虎伏山山麓の起伏を生か…
和歌山藩主と側近だけが藩の政庁や藩主の居館である二の丸と紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられたのが御橋廊下。屋根があり、外からは見えない構造で、二の丸側から11度の角度で下るという珍しい構造のため、滑り止めの…
国の史跡となっている和歌山城の二の丸にあるのが二の丸庭園。現在は構築物はありませんが、往時は二の丸御殿が建っていた場所。虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)山頂の天守やその東の本丸御殿で政務を司るのは不便なので、二の丸…
近世の和歌山城天守閣は、浅野幸長が関ヶ原の戦の軍功で紀州藩主となり入城した際、1605(慶長10)年頃、下見板張りの天守が建てられたのが始まり。1846(弘化3)年の天守曲輪の雷雨で全焼し、1850(嘉永3)年に再建。幕…
総楠(そうくすのき)造りであったため楠門と称される天守曲輪の入口。本瓦葺きの楼門。1846(弘化3)年の落雷で天守群とともに焼失しましたが1850(嘉永3)年に再建。戦前は国宝だったが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に楠…
和歌山市を流れる紀ノ川の河口部の南側の海岸部に、江戸時代に築かれた全長1kmの堤防。堤防は海側に石堤、陸側に土堤を築くという強固なもので、高さは石堤が4m、土堤が5mもあります。藩主の遊覧の場であり、別邸を築いたりした西…
根室半島の太平洋側にある周囲5kmの湖が長節湖(ちょうぼしこ)。周囲は針広混交林で湖畔には人家はありません。湖畔には西国三十三観音霊場を含む45体の観音像が安置されており、一周する4.5km(所要1時間30分)ほどの遊歩…
根室市の落石岬の北側、馬の放牧地で知られるユルリ島、モユルリ島(両島とも立入禁止)を眼前にする海岸。浜松集落の南側、海に突き出した台地上の半島には今も馬の放牧地が残され、フットパスの「浜松パス」が設定されています。かつて…