御薬園

国の名勝、会津松平氏庭園が御薬園(おやくえん)。室町時代の1434(永享6)年、会津守護職となった蘆名氏10代当主・葦名盛久(あしなもりひさ)が鶴ヶ城の前身である東黒川館に近い霊泉の湧き出すこの地に別荘を建てたのが始まり。会津松平の藩祖・保科正之は築泉回遊式の大名庭園を整備しました。

会津藩の大名庭園で薬草園も併設

葦名盛久時代、御薬園あった地は、大田谷地という湿地でした。
そこに霊泉が湧くことから葦名盛久が別荘を建築。
さらに会津松平藩の藩祖・保科正之は1643(寛永20)年、築泉回遊式の大名庭園を整備。
さらに2代藩主・保科正経は薬草園を設け薬草の栽培創始し、松平姓と三つ葉葵の紋の永代使用を許された3代藩主・松平正容(まつだいらまさかた=保科正容)は朝鮮人参(オタネニンジン)を試植しています。

松平正容は同時に1696(元禄9)年、小堀遠州の流れをくむ、園匠・目黒浄定(普請奉行・辰野源左衛門)の手で今に残る庭園の造成を行なっています。
1.7haという広大な園の中央に屈折する心字池が配され、東側に築山を配し、東山の連山を借景とする典型的な大名庭園となりました。

松平正容は朝鮮人参を広く民間に奨励したことから、別邸全体が御薬園と呼ばれるよう。
庭園を大規模に修築した目黒浄定は、江戸時代初期の代表的な作庭家で、古田織部(ふるたおりべ)に師事し、秀吉や家康にも仕えています。
「御薬園付絵師」というのが会津藩での肩書。
江戸時代をルーツにする薬草植物標本園には現在も400種類もの薬草が植えられています。

御薬園に咲くフジ

漢方で利尿薬とするカワラヨモギ

会津に南蛮文化をもたらした朝鮮人参の栽培と会津和人参貿易

天明の飢饉(1782年~1783年)以降、会津藩は疲弊した農村の振興に力を注ぎます。
1803(享和3)年、家老・田中玄宰が出雲国(島根県)から大量の人参種を買い入れ会津一円に広く作付けています。
さらに、人参奉行所を設け、人参の生産販売を専売制にしています。
会津藩では会津和人参と呼ばれる朝鮮人参の生産に力を注ぎ、1832(天保3)年、幕府の許可によって日本ではじめて輸出人参として清国に輸出。
これを長崎で扱ったのが会津藩御用達の豪商・足立仁十郎(会津藩御用達足立家「田辺屋」)。
会津に唐人凧などの南蛮文化をもたらしたのは、この会津和人参貿易によるもの。
足立仁十郎も2年に一度、会津を訪れ会津に南蛮文化をもたらしています。
 

御薬園 DATA

名称 御薬園/おやくえん
所在地 福島県会津若松市花春町8-1
関連HP http://www.tsurugajo.com/
電車・バスで JR会津若松駅から会津バス東山温泉行き、または、まちなか周遊バスハイカラさんで御薬園下車、徒歩3分(まちなか周遊バスあかべぇで御薬園入口下車)
ドライブで 磐越自動車道会津若松ICから約5.9km(11分)
駐車場 60台/無料
問い合わせ TEL:0242-27-2472/FAX:0242-29-1322
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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