旧滝沢本陣

若松城下から白河で奥州街道に合流し江戸に至る白河街道。会津若松への最後の難所、滝沢峠(標高489m)の若松側登り口にある本陣遺構が旧滝沢本陣。現存する建物は1678(延宝6)年築で主屋と座敷は、旧滝沢本陣横山家住宅として国の重要文化財に指定されています。江戸時代の貴重な本陣建築が現存!

白河街道の本陣が現存

滝沢峠の会津城下側の上り口にある滝沢本陣は、会津藩だけでなく、新発田藩と村上藩の参勤交代や会津藩祖・保科正之を祀る土津神社参拝の際の休憩所として利用されました。

1868(慶応4)年8月22日の戊辰戦争では、会津城下に攻め入る西軍(新政府軍)を戸ノ口原で食い止めようと、藩主・松平容保の出陣によって本陣となっています。

土方歳三(ひじかたとしぞう)と斎藤一(さいとうはじめ/『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』で描かれてさらに有名に。菩提寺は会津若松市の阿弥陀寺)率いる新撰組も駐屯。
藩主を護衛する名目で白虎隊(士中二番隊)も赴任しますが、藩主の命により戦況不利な戸ノ口原に出陣し、飯盛山での悲劇的な最後へと進みます。
藩主の居た御座之間、藩士が詰めた御次之間には戊辰戦争時の鉄砲の痕や刀傷も残されています。

白河街道・滝沢峠越え
滝沢峠を越える峠越えの白河街道は、1627(寛永4)年に開通。
会津藩の参勤交代は当初、会津西街道(下野街道)が使われていましたが、1683(天和3)年に日光大地震で鬼怒川支流の男鹿川が土砂で堰き止められ、白河街道に変更されています。

江戸時代初めの寛永年間(1624年〜1645年)にはすでに石畳が敷かれ、明治時代に峠の南北に馬車道が通じています。
峠東麓の金堀集落はその名の通り、戦国時代に発見された金堀金山(かねほりきんざん)の鉱山町。
1590(天正18)年8月の奥州仕置の際に、豊臣秀吉がわざわざこの地を検分しています。

滝沢峠を越える旧白河街道は東北自然歩道(新奥の細道)「滝沢街道を辿るみち」(8.8km)として整備されています。

旧滝沢本陣 DATA

名称 旧滝沢本陣/きゅうたきざわほんじん
所在地 福島県会津若松市一箕町八幡滝沢122
関連HP 会津若松観光ビューロー公式ホームページ
電車・バスで JR会津若松駅からまちなか周遊バスあかべぇで4分、飯盛山下下車、徒歩5分
ドライブで 磐越自動車道会津若松ICから約4.8km
駐車場 9台/無料
問い合わせ TEL:0242-22-8525
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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