慈恩の滝
大分県日田市天瀬町と玖珠郡玖珠町の境を流れる山浦川(玖珠川支流)に懸る滝が、慈恩の滝(慈恩ノ滝)。国道210号沿いにある、落差30mの豪快な二段の滝で、近くには道の駅「慈恩の滝 くす」も整備されています。上滝は落差20m…
大分県日田市天瀬町と玖珠郡玖珠町の境を流れる山浦川(玖珠川支流)に懸る滝が、慈恩の滝(慈恩ノ滝)。国道210号沿いにある、落差30mの豪快な二段の滝で、近くには道の駅「慈恩の滝 くす」も整備されています。上滝は落差20m…
大分県中津市のシンボル、八面山。テーブルマウンテンとして独特の山容の山は、古くから信仰の対象になり、山上に箭山権現(ややまごんげん/現・箭山神社)が祀られています。その箭山神社近く、車道の終点に令和2年3月に整備されたテ…
大分県中津市、どこから眺めても同じ形というのが名の由来で、中津市のシンボル的存在担っているのが、八面山。標高659.4mの低山ながら、中津の人はこの山を見ると故郷に帰ってきたことを実感するのだとか。山頂のアンテナ群までは…
神奈川県相模原市緑区、城山湖(本沢調整池)の東に位置するのが、本沢梅園。川尻財産区の3haの敷地に、白加賀を主体に1000本の梅が植栽されています。3月に本沢梅園の南東斜面は梅の花が咲き誇り、さらに6月には梅のもぎ取りを…
大分県東国東郡姫島村、姫島の北西部に突き出した岬で、乳灰色~乳白色をした黒曜石が、高さ40m、幅120mにわたって露出、「姫島の黒曜石産地」として国の天然記念物に指定される岬が、観音崎。姫島七不思議に数えられる千人堂が建…
神奈川県相模原市緑区、津久井湖の北にある本沢ダム(ほんざわだむ)のダム湖が、城山湖(本沢調整池)。昭和40年、揚水式の城山発電所(神奈川県企業庁運営)の上池として津久井郡城山町に建設されたのが湖名の由来。下池となる城山ダ…
大分県東国東郡姫島村にある古社が、比売語曽社(ひめこそしゃ)。祭神は比売語曽神(ひめこそのかみ)。姫島の姫とは、この社に祀られる姫君のこと。古代からの大陸との交流を感じさせる社で、広島県呉市の亀山神社は、白鳳8年(679…
大分県東国東郡姫島村、一島一村の姫島の玄関口となるのが、姫島港(姫島村営フェリー乗り場)。伊美港(国東市)から姫島村営フェリーを利用し、わずか20分の船旅。港一帯は姫島港運動公園として整備され、夏場には姫島海水浴場がオー…
大分県東国東郡姫島村、豊後水道北側入口にある姫島で製塩業営み、明治4年の廃藩置県まで12代250年にわたって庄屋を務めた旧家が、姫島庄屋古庄家(ひめしましょうやこしょうけ)。現存する建物は、第11代・古庄逸翁(こしょうい…
大分県大分市、滝尾中学校グランド北側の岩壁にある、大小84基の横穴墓群が、滝尾百穴横穴古墳群(たきおひゃっけつよこあなこふんぐん)。火山層の崖に、上下3段になって横穴墓が築かれ、古墳時代後期後半(6世紀)に造られた、集団…
大分県津久見市、みなとオアシスとして整備される津久見港の臨海公園が、つくみん公園。正式名は港中央公園。「海遊王国シートピア」がモチーフで、ビッグウェーブスライダー、シェルアイランド、ホエールサブマリンなどなど、ユニークな…
大分県津久見市中田、戦国時代、豊後国(ぶんごのくに)を支配した大友宗麟(おおともそうりん)終焉の地、津久見にあるのが、大友宗麟墓地公園。昭和52年、キリシタンだった大友宗麟ということから新たにキリスト教式墓地を建設し、津…
大分県津久見市四浦、四浦半島(ようらはんとう)の北側を通る、大分県道611号(四浦日代線)は、間元(まもと)地区で終点。間元漁港先端の浜に立つと、間元海峡越しに目と鼻の先に、保土島を眺めることができます。岬突端から島まで…
大分県津久見市、豊後水道に浮かぶ島、保戸島(ほとじま)と、椿咲く無垢島(むくしま)への旅客船が出航するのが津久見港。保戸島へは「やま丸」の運航する高速船マリンスター、高速船ニューやま2号で25分の船旅。無垢島は津久見市営…
大分県津久見市、四浦半島(ようらはんとう)の先端、豊後水道に浮かぶ島、保戸島(ほとじま)の玄関口となるのが保戸島港。四浦半島先端の間元漁港から目と鼻の先にありますが、高速船が出向するのは津久見港(離島ターミナル)。所要2…
大分県津久見市、四浦半島のすぐ先、豊後水道に浮かぶ島が、保土島(ほとじま)。マグロ延縄漁業の技術は日本一ともいわれ、明治から昭和にかけてマグロ漁業基地として発展した全国有数の漁港が保戸島港。港町(保土島集落)の異色の景観…
大分県津久見市四浦、四浦半島(ようらはんとう)の北側を通る、大分県道611号(四浦日代線)沿いにある展望地が、四浦展望台。標高は130mほどだが、刀自ヶ浦港(とじがうらこう)を眼下に、西には観音崎へと続く半島が、そして晴…
神奈川県横浜市神奈川区、東高島駅一帯にある幕末の神奈川湊防備のために築かれた台場の跡が、神奈川台場跡。万延元年(1860年)、勝海舟の設計で、伊予松山藩が築造した台場。権現山(神奈川区幸ヶ谷、現・横浜市立幸ヶ谷小学校)か…