近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区
滋賀県近江八幡市、豊臣秀次(とよとみひでつぐ=豊臣秀吉の甥)が開いた城下町・近江八幡は、近江商人発祥の地。市街地(近江八幡の町並み)には江戸中期から明治期にかけて建てられた商家や蔵が数多く現存し、近江八幡市八幡伝統的建造…
滋賀県近江八幡市、豊臣秀次(とよとみひでつぐ=豊臣秀吉の甥)が開いた城下町・近江八幡は、近江商人発祥の地。市街地(近江八幡の町並み)には江戸中期から明治期にかけて建てられた商家や蔵が数多く現存し、近江八幡市八幡伝統的建造…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)美浜、美浜タウンリゾートと呼ばれるショッピング、グルメ、アミューズメントの複合施設が、アメリカンビレッジ。北谷町の公有水面埋立事業地(米軍キャンプ瑞慶覧ハンビー飛行場跡地の海岸部)を都…
沖縄県糸満市束里、沖縄戦跡国定公園に指定される沖縄本島最南端・荒崎の海岸部にあるのが、ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)。島民をも巻き込んだ沖縄戦で、南へ南へと逃げた日本軍と住民ですが、降り注ぐ弾雨のなか…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)北谷2丁目、北谷町の海岸沿いに整備された3.7haの臨海公園が、安良波公園。海側にはアラハビーチが整備され、その陸側に多目的広場、野外ステージ、噴水池、バスケットコート、バーベキューエ…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)美浜、「美浜アメリカンビレッジ」の海側に位置する人工ビーチが、北谷公園サンセットビーチ。土地柄からアメリカ人の利用も多く、海外のリゾートのような雰囲気をも醸し出しています。その名の通り…
石川県金沢市丸の内、金沢城の堀の中で、唯一現存する大手堀(周囲430m)に整備されたのが外濠公園。「水と緑と思索の道」として、昭和59年に整備された散策路「白鳥路」にあるのが、三文豪の像です。金沢ゆかりの室生犀星、泉鏡花…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)砂辺、かつて景勝地として知られ、沖縄戦の艦砲射撃などで荒廃した地を復元した砂辺馬場公園(すなべばばこうえん)の一角に立つのが、米軍上陸地モニュメント。昭和20年4月1日、1500隻近い…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)砂辺、沖縄県の海岸養浜事業で整備された公園が、砂辺馬場公園(すなべばばこうえん)。砂辺の浜(宮城海岸)は北谷町の景勝地でしたがアメリカ軍の沖縄本島最初の上陸地となったことで激しい艦砲射…
沖縄県八重山郡竹富町、西表島(いりおもてじま)を周回する沖縄県道215号(白浜南風見線)の大見謝ロードパーク西側に河口(ゲーダ橋)があるゲーダ川に懸かる滝が、ゲータの滝。河口からさほど離れていないので探勝は比較的に楽で…
北海道増毛郡増毛町弁天町5丁目、増毛港を見下ろす高台に建つのが、増毛灯台(ましけとうだい)。明治23年12月25日、木造四角形の灯台として初点灯したという歴史ある灯台で、昭和21年に火災で焼失したため、昭和24年3月、コ…
北海道上川郡美瑛町中宇莫別(なかうばくべつ)、波打つ丘(波状丘陵)が続く美瑛町にある灌漑用のアースダムが、聖台ダム(せいだいだむ)。宇莫別川を堰き止め、昭和7年から5年を費やして完成したダムで、土木学会選奨土木遺産にも選…
沖縄県宮古島市城辺、宮古島の南岸、ムイガー断崖(隆起サンゴ礁の断層海岸)の内陸側のカルスト地帯(石灰岩台地)にある鍾乳洞が、仲原鍾乳洞(なかばりしょうにゅうどう)。サトウキビ畑の真下にある個人経営の穴場的な鍾乳洞ですが、…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)は、貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が創建したと伝わる天台宗の古刹。実際の開祖は安慧(あんね)で、『奥の細道』で、芭蕉が訪れ「閑(しづ)かさや岩にしみ入る…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)。山上の釈迦堂の建つ釈迦が峰は、修験者のみに許される修行の場(危険のため一般の入山は固く禁じられています)。狭い洞窟を抜ける胎内くぐりの修業の場近くにあるのが胎…
山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)。山門をくぐり、少し上ったところに建つのが姥堂(うばどう)で、堂内には三途川(さんずのかわ)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼・奪衣婆(だつえば)が祀られています。
山形県山形市山寺、山寺として有名な立石寺(りっしゃくじ)のさらに奥、奥山寺と通称される地にある異色のスポットが、峯の浦・垂水遺跡(みねのうらたるみずいせき)。最上三十三観音の二番札所・千手院の裏手にあり、円仁(慈覚大師)…
沖縄県宮古島市城辺保良、宮古島の東平安名崎近く、保良泉ビーチ(ぼらがーびーち)の東の海食崖にある鍾乳洞が、保良クバクンダイ鍾乳洞。干潮時のみ、カヌーやSUPで入洞でき、鍾乳洞内にカボチャを思わせる鍾乳石があるのでパンプキ…
東京都文京区湯島3丁目、湯島天満宮の南200mほどの場所にある坂道が、実盛坂。階段部分は20mほどですが、石段の急坂が東西に続き(西側に上るかたち)、足がすくむほどの急坂。一帯は平安時代に長井庄と呼ばれ、斎藤実盛(さいと…