峯の浦・垂水遺跡

峯の浦・垂水遺跡

山形県山形市山寺、山寺として有名な立石寺(りっしゃくじ)のさらに奥、奥山寺と通称される地にある異色のスポットが、峯の浦垂水遺跡(みねのうらたるみずいせき)。最上三十三観音の二番札所・千手院の裏手にあり、円仁慈覚大師)が修行したと伝える円仁宿跡(えんにんしゅくあと)という岩窟もあります。

山寺発祥の地といわれ、円仁修行伝説の残る岩窟が!

峯の浦・垂水遺跡

千手院境内から山道を15分ほど登り、鬱蒼(うっそう)と茂る樹林帯を抜けると、忽然(こつぜん)と現れるのが、蜂の巣のような穴、巨大な洞窟の開いた岩壁。
現在は、岩壁中央の洞窟には稲荷、右手の洞に古峯神社(こぶほうじんじゃ)、左手の岩壁の割れ目には不動明王(垂水不動尊)が祀られ、左手の岩肌には千手観音像が線刻されていたと伝わります。
この垂水不動尊の岩窟が円仁宿跡です。

千手院縁起によれば、円仁(慈覚大師)は、天長7年(830年)、東北巡錫の途上、垂水岩の荘厳な景観に感動し、この地を天台宗の東北の霊場の拠点とすることを決意、岩壁の奥にある洞(現在の円仁宿跡)に籠もり、山寺開基の構想を練り、嘉祥2年(849年)にも再度訪れ、貞観2年(860年)の立石寺開基につながるのです。
そのため、「もうひとつの山寺」(峯の浦本院の遺構も山内にあります)とも称されますが、観光客であふれる山寺(立石寺)の喧騒(けんそう)とは異なり、凛(りん)とした空気、霊験なる雰囲気が漂っています。

天長7年(830年)の円仁の記録は残されていませんが、逆に比叡山周辺にいたという記述もないので、この地での修行は事実なのかもしれません(円仁の東北巡錫はあくまで伝承で、記録にはありません)。
嘉祥2年(849年)に関しては5月に延暦寺での記録があるので、こちらは後世の創作だと推測されます。

垂水遺跡は、その後修験道の地として栄え、大正時代までは山伏姿の修験者の姿を見たと伝えられています。

円仁に関してはあくまで伝承に過ぎませんが、垂水遺跡周辺には、烏帽子岩(えぼしいわ)、城岩七岩(しろいわなないわ)、見晴台、毘沙門天岩、修験場跡(しゅげんじょうあと)と称される広場、天狗岩、五輪塔窟(鎌倉時代の五輪塔が残存)、阿弥陀如来を本尊として祀った本院跡(峯の浦本院の遺構)などがあり、1時間30分ほどで周回できます(山道なのでそれなりの準備が必要です)。

峯の浦・垂水遺跡
峯の浦・垂水遺跡
名称 峯の浦・垂水遺跡/みねのうら・たるみずいせき
所在地 山形県山形市山寺 千手院
関連HP 山寺観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR山寺駅から徒歩35分
ドライブで 山形自動車道山形北ICから約10.6km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 山寺観光案内所 TEL:023-695-2816/FAX:023-695-2810
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
立石寺

立石寺

山形県山形市山寺、山寺の通称で知られる立石寺(りっしゃくじ)は、貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が創建したと伝わる天台宗の古刹。実際の開祖は安慧(あんね)で、『奥の細道』で、芭蕉が訪れ「閑(しづ)かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだ

 

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