能褒野王塚古墳
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…
三重県鈴鹿市にある全長92m、後円部の直径64m、前方部の高さ15.5mと、三重県下最大の帆立貝式古墳が白鳥塚古墳。伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)出身で『古事記伝』の著者でもある本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(…
昭和57年8月25日にリリースされたのが演歌歌手・鳥羽一郎のデビューシングルで、オリコンチャート上では約29万枚の売上を記録した『兄弟船』。鳥羽一郎の代表曲ともなったこの『兄弟船』歌碑がパールロード途中の鳥羽展望台(三重…
昭和6年3月17日に参宮急行電鉄線(後に近鉄に吸収)の終着駅、伊勢神宮の玄関駅として建設された宇治山田駅は、私鉄の駅舎としては有数のクラシックさと豪華さで、国の登録有形文化財の指定を受けています。3階建て、間口120mと…
内宮宇治橋から約800mにわたり伊勢独特の切妻入りの建物が建ち並んでいますが、これがおはらい町。かつての参宮街道の一部で、付近には明治の初めまで、伊勢参りの人々をもてなす御師の家(おんしのいえ)が建ち並んでいました。神宮…
全国各地から伊勢を目指す人々をしっかりと支えたのが御師(おんし)と呼ばれる人たち。御師の家は全盛期に伊勢に800軒を数えましたが、明治以降に急速に廃れ、今では唯一、丸岡宗大夫邸(まるおかそうだゆうてい)が残されるのみとな…
伊勢市街にある筋向橋(すじかいばし)は、伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道が合流する要衝で、ここが世俗の境になっていたのです。今では川が暗渠(あんきょ)となっていますが、往時の旅人は、ここでもう一度心を引き締めて、ゴールであ…
伊勢神宮(正しくは神宮)の内宮(ないくう)の入口、五十鈴川(いすずがわ)にかかる檜造りの橋が宇治橋。20年ごとに行なわれる遷宮の4年前に必ず掛け替えられる橋で、昭和24年に予定の遷宮が4年延期となり、以来宇治橋だけが早く…
伊勢を流れる勢田川(せたがわ)河口に位置する河崎(かわさき)の街は、船で豊富な物資が集まり「伊勢の台所」といわれた場所。伊勢神宮参拝に集まる人々に供する食材などを河崎で荷揚げし、蔵に保管していたのです。そんな河崎に建つ「…
伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ街道沿いにある古市は、伊勢参りの際の精進落としの場所として、庶民の伊勢参拝の隠れた目的の地でもあり、江戸の吉原、京都の島原に並ぶ三大妓楼に挙げられるほどの賑わいを見せていました。その古市の繁栄を…
大川橋蔵や北大路欣也主演のテレビドラマ『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、野村胡堂(のむらこどう)の小説『銭形平次捕物控』が原作。主人公の銭形平次こと岡っ引の平次は、神田明神下に住むという設定。というわけで神田明神(正式名…
伊勢と奥志摩を結ぶパールロード(三重県道128号鳥羽阿児線)随一の絶景といわれる展望台が鳥羽展望台。標高165m、太平洋を見下ろす箱田山頂上に位置する展望台で、眼下に国崎の海岸線や安乗岬、大王崎、晴れていれば神島はもちろ…
俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられ…
三重県紀北町と尾鷲市を結ぶ国道42号は天狗倉山(馬越峠/まごせとうげ)をトンネルで通過していますが、馬越峠周辺には17世紀前半に紀州藩の行なった街道整備事業で敷かれたと推定される熊野古道伊勢路の石畳が残されています。これ…
大阪府大東市(だいとうし)と四條畷市(しじょうなわてし)の境、標高315.9mの飯盛山に築かれた中世の山城が飯盛山城(いいもりやまじょう/大東市では飯盛城と称しています)。京や大坂を抑え、大和への進軍も可能な飯盛山城は、…
天王寺公園の北端にある小さな山が茶臼山。大阪市内で最大級の前方後円墳との説もありますが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が上町台地を掘削したときの残土を盛った丘ともいわれています。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で徳…
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方は最終決戦に臨み、防御が薄くなった大坂城に籠もるのでなく、天王寺周辺に陣を敷くことに決めました。真田幸村(真田信繁)は、前年に敵将・徳川家康が陣を築いた茶臼山を本陣としますが…
天王寺公園内にある林泉回遊式庭園が慶沢園(けいたくえん)。明治時代〜大正時代に京都の平安神宮神苑、円山公園、清風荘、無鄰菴など数々の庭園を作庭した第7代小川治兵衞の施工で、飛石や橋をめぐらせ、躍動する水の動きを足下に感じ…