極楽寺
古には大陸や日本海交易で栄えた長門市仙崎。極楽寺の創建は延歴3年(784年)と古く、鎌倉時代に現在地に移転したと伝えられています。金子みすゞ作『仙崎八景』のひとつとして詠われており、仙崎みすゞ通りに面した山門前には『極楽…
古には大陸や日本海交易で栄えた長門市仙崎。極楽寺の創建は延歴3年(784年)と古く、鎌倉時代に現在地に移転したと伝えられています。金子みすゞ作『仙崎八景』のひとつとして詠われており、仙崎みすゞ通りに面した山門前には『極楽…
金子みすゞの故郷、山口県長門市の仙崎みすゞ通りの起終点でもある、仙崎砂洲先端の瀬戸の渡しからほど近い場所に建つのが、遍照寺(へんしょうじ)。15世紀末の創建といわれる浄土真宗の寺で、金子みすゞの墓所があります。金子みすゞ…
仙崎漁港に面して建つ、八坂神社。かつては祇園社と呼ばれていました(今も祇園様と呼ばれています)。みすゞ通りにも小さな鳥居があり、ここに金子みすゞの童謡詩「祇園社」の碑が立っています。王子山、弁天島、花津浦、極楽寺、波の橋…
金子みすゞの故郷、山口県長門市仙崎。JR仙崎駅から仙崎の岬の先端へ、北にのびる1kmほどの道が仙崎みすゞ通り。沿道には、金子みすゞ記念館が建っている金子みすゞの生家跡や、童謡詩に描いた店や風景、みすゞの墓がある偏照寺など…
明治36年、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれた童謡詩人・金子みすゞ(本名:金子テル)。仙崎みすゞ通りの仙崎西祇園に建つのが金子みすゞ記念館。常設展示室「みすゞの原風景」では、512編の遺稿集など、みすゞゆかり…
関門海峡をくぐり山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号の海底トンネルが関門トンネル(関門国道トンネル)。NEXCO西日本が管理する有料道路となっています。昭和12年に早くも試掘導坑の掘削が開始され、戦争を挟んで昭和3…
鎌倉五山の第1位の寺で、臨済宗建長寺派総本山が建長寺。禅宗に深い関心を寄せていた鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が、宋からの渡来僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて建長5年(1253年)に建立した…
臨済宗円覚寺(えんがくじ)派に属する鎌倉五山の第4位の寺。第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)の三男、北条宗政(ほうじょうむねまさ)の菩提を弔うため、弘安4年(1281年)、宗政の妻とその子・北条師時(ほうじょうも…
平成元年に福山城天守(福山城博物館)の西側(三の丸西部)に開館した広島県立の博物館。瀬戸内の民衆の歴史と文化をテーマとし、芦田川の川底に埋もれた、わが国を代表する中世の集落跡「草戸千軒町遺跡」の発掘調査から出土した遺物や…
福山城は、徳川幕府の西国鎮護の拠点として、福山藩初代藩主・水野勝成(みずのかつなり=徳川家康のいとこ)が、元和5年(1619年)に福山藩10万石の藩庁として、築いた城。慶長20年(1615年)の一国一城令後に築城された近…
福山城の本丸東側、月見櫓の北側に再建されているのが鏡櫓。明治維新の廃城令で破却され、昭和48年に福山市名誉市民・村上銀一(ハワイで成功した日系移民)らの寄付により、コンクリート造りで再建された復興櫓。公式には「外観復元が…
福山城の本丸南側に建つ美しい櫓。伏見櫓同様、徳川時代の伏見城から移築された櫓と伝承されますが、第2次世界大戦の戦火で焼失し、現在の櫓は昭和41年にコンクリートで造られた復興櫓。南側正面にある石落しの有無(復興櫓には1階南…
福山城本丸に現存する三層三階の隅櫓。元和8年(1622年)、水野勝成による福山城築城に際して、2代将軍・徳川秀忠の命により伏見城・松の丸東櫓から移築した櫓のため、伏見櫓の名があります。今も往時と変わらぬ姿を留めています。…
全国に数ある城郭のなかでもっとも新幹線停車駅に近いのが広島県福山市の福山城。山陽新幹線・福山駅北口に出るとすぐに福山城公園の入口で、坂道を上れば筋鉄御門(すじがねごもん)。福山城本丸の正門で福山城築城に際して、伏見櫓と同…
築城した水野勝成が徳川家康の従兄弟(いとこ)ということで福山城には家康再建の伏見城内から多くの建物が移築されています。御湯殿も、本丸御殿(伏見城表居間)とともに伏見城から移築された建物で、戦前は国宝に指定されていましたが…
築城当時の福山城の絵図面にも描かれている遺構が鐘櫓。城下や近隣諸村に時を告げ、緊急時に武士を召集する太鼓も備えていました。城郭内に鐘櫓(鐘楼)が現存するのはほかには彦根城などにあるだけで非常に稀な例です。往時には鐘が吊ら…
新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50…
本丸(天守・御殿)、二の丸、三の丸と、さらには指月山に詰城と堅牢な防御を誇った萩城。本丸の南西部に配された天守は桃山時代初期の様式で、高さ21m、5層5階の複合式望楼型の壮麗なものだったとか。現在は天守跡(天守台)の石垣…