和歌山城・天守二の門
総楠(そうくすのき)造りであったため楠門と称される天守曲輪の入口。本瓦葺きの楼門。1846(弘化3)年の落雷で天守群とともに焼失しましたが1850(嘉永3)年に再建。戦前は国宝だったが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に楠…
総楠(そうくすのき)造りであったため楠門と称される天守曲輪の入口。本瓦葺きの楼門。1846(弘化3)年の落雷で天守群とともに焼失しましたが1850(嘉永3)年に再建。戦前は国宝だったが、和歌山大空襲で焼失。昭和33年に楠…
和歌山市を流れる紀ノ川の河口部の南側の海岸部に、江戸時代に築かれた全長1kmの堤防。堤防は海側に石堤、陸側に土堤を築くという強固なもので、高さは石堤が4m、土堤が5mもあります。藩主の遊覧の場であり、別邸を築いたりした西…
根室半島の太平洋側にある周囲5kmの湖が長節湖(ちょうぼしこ)。周囲は針広混交林で湖畔には人家はありません。湖畔には西国三十三観音霊場を含む45体の観音像が安置されており、一周する4.5km(所要1時間30分)ほどの遊歩…
根室市の落石岬の北側、馬の放牧地で知られるユルリ島、モユルリ島(両島とも立入禁止)を眼前にする海岸。浜松集落の南側、海に突き出した台地上の半島には今も馬の放牧地が残され、フットパスの「浜松パス」が設定されています。かつて…
雑賀崎から、海に向かって鼻のように突き出している番所ノ鼻は、江戸時代、紀州藩が海の見張りをするための遠見番所を築いた場所で、その跡地を整備したのが番所庭園。眼前には大島(男島)、中ノ島(女島)、双子島を望み、夕日が島影を…
『万葉歌』にも詠まれた雑賀の浦(和歌山市)にある景勝地が雑賀崎(さいかざき)。荒波が打ち寄せる岩礁は、紀州の特徴ともいえる青石で、入り組んだ海岸線が実に美しい景観を生み出しています。大島、中の島、双子島といった小島が浮か…
眼前に友ヶ島を望む加太(かだ)の海岸に鎮座する古社、淡嶋神社。もとは対岸の友ヶ島にあり、仁徳天皇の時代に現在地へ遷座したと伝えられています。社伝では、三韓遠征からの帰り、嵐にあった神功皇后(じんぐうこうごう)の船が無事友…
紀伊大島(和歌山県串本町)の東端に建つ樫野埼灯台(かしのざきとうだい)の沖合は、海の難所として有名。明治23年にオスマン帝国(現・トルコ)軍艦エルトゥールル号が樫野埼灯台近くの船甲羅で座礁し、大きな犠牲を生みました。そ…
本州最南端の潮岬。国土地理院の地図を見ると、正確には潮岬という突端はなく、潮岬灯台が建つのは御崎(みさき)、そして芝生が広がる潮岬南端の台地の先に位置するのがクレ崎で、ここが真の本州最南端。
紀伊大島の東端、樫野崎(かしのざき)に建つブラントン設計の日本最初の石造灯台が樫野埼灯台。1866(慶応2)年、イギリス、フランス、オランダ、アメリカと結んだ江戸条約で設置が約束された8ヶ所(観音埼、野島埼、樫野埼、神子…
潮岬先端の海岸台地に建つ熊野交通グループ経営の潮岬観光タワー。7階が展望台になっており、入場者(大人)には本州最南端訪問証明書が発行されています。望楼の芝生を眼下に、潮岬灯台、紀伊大島から那智山まで一望に。別館の2階には…
徳川幕府が1866(慶応2)年5月に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ江戸条約(改税条約)で設置が決定した8灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)のうちのひとつが潮岬灯…
根室半島の根室海峡側、ノッカマップ岬の東端には根室半島チャシ跡群のひとつ、ノッカマフチャシ跡(ノッカマフ1号・2号チャシ跡)があります。根室半島の海沿いには16世紀〜18世紀にアイヌ民族が構築した32ヶ所のチャシが現存。…
和歌山藩2代藩主・徳川光貞(とくがわみつさだ)が、和歌山城の南西2kmの地(現在の和歌山市湊御殿1〜3丁目)に1698(元禄11)年に創建した隠居所(奥御殿)が湊御殿。その後何度か火災にあって再建され、現存する建物は、1…
紀の川市東国分にある紀伊国分寺跡は、741(天平13)年、聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)により紀の川の河岸段丘上に建立され、756(天平勝宝8)年に伽藍が完成した紀伊国の国分寺の跡。発掘調査から、南門、中門、金堂…
和歌浦に架かるアーチ型の石造人道橋。片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して架けられたもので、幕末の1851(嘉永4)年の竣工。紀州東照宮の『和歌祭』に紀州徳川家や東照宮の神官が御旅所に向かう「御成道」に架けられ…
和歌浦の海岸に鎮座する神社。もともとは玉津島神社の祓所でしたが、大正6年に神社として独立。御神体は海岸洞窟の「輿の窟」(こしのいわや)に鎮座する鹽槌翁命(しおつつのおじのみこと)。安産・子授け、不老長寿・漁業豊穰・航海安…
和歌浦に鎮座する玉津島神社。社伝では神功皇后(じんぐうこうごう)の紀伊進軍の際、玉津島神の加護を受けたことから分霊を勧請して創建したという古社。724(神亀元)年、聖武天皇の和歌浦行幸の際に、風光明媚な土地に創建を命じた…