有馬温泉・茶人太閤像
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かる太閤橋のたもと、湯けむり広場にあるのが、茶人太閤像。豊臣秀吉は羽柴秀吉時代の三木合戦の頃からたびたび有馬を訪れ、正室のねね(北政所)など伴って湯治に訪れ、天正17年(…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かる太閤橋のたもと、湯けむり広場にあるのが、茶人太閤像。豊臣秀吉は羽柴秀吉時代の三木合戦の頃からたびたび有馬を訪れ、正室のねね(北政所)など伴って湯治に訪れ、天正17年(…
兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かるねね橋のたもとにあるのが、ねねの像。ねねとは、豊臣秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)のこと。念仏寺は北政所の別邸とも呼ばれ、秀吉とともにたびたび湯治に訪れ、薬師堂…
茨城県つくば市北条にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・常陸北条駅跡(ひたちほうじょうえきあと)。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用されていま…
茨城県土浦市田土部にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・田土部駅跡(たどべえきあと)。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用されています。
茨城県桜川市東飯田にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・東飯田駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用されています。
茨城県桜川市犬田にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・岩瀬駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が岩瀬休憩所に再生されています…
茨城県桜川市真壁町にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・真壁駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が真壁休憩所に再生されていま…
茨城県つくば市小田にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・常陸小田駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が小田休憩所に再生されて…
茨城県土浦市藤沢にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・常陸藤沢駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が藤沢休憩所に再生されてい…
茨城県土浦市虫掛にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・虫掛駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が虫掛休憩所に再生されています…
茨城県つくば市沼田にある筑波鉄道筑波線のホーム跡が、筑波鉄道・筑波駅跡。廃線跡はつくば霞ヶ浦りんりんロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線)というサイクリングロードに転用され、ホーム跡が筑波休憩所に再生されていま…
東京都港区三田1丁目と三田2丁目の間、二之橋から南に上る坂道が、日向坂(ひゅうがざか)。坂の頂上部には、綱町三井倶楽部のシックな洋館が建ち、南側へ綱の手引坂が下っています。日江戸時代前期、坂の南側に徳山藩・毛利日向守(も…
東京都港区三田1丁目に鎮座する寛弘2年(1005年)に一条天皇の勅命により創建されたと伝えられる古社が、元神明宮(もとしんめいぐう)。相殿に祀られる水天宮は、隣接した久留米藩有馬家・江戸上屋敷に祀られ、「情け有馬の水天宮…
東京都港区三田1丁目と三田2丁目の間、東側から西へと上る坂道が、綱の手引坂(つなのてびきざか)。三田は源頼光の四天王のひとり、大江山の鬼退治で知られる渡辺綱(わたなべのつな)ゆかりの地という伝承があり、その伝承に由来する…
東京都港区三田2丁目、慶應義塾大学三田キャンプスの北、第一種文教地区に指定される閑静な住宅街にあるのが、弘法寺。三田は大江山の酒呑童子退治で知られる渡辺綱(わたなべのつな)の生誕地という伝承があり、近代的な本堂横には「産…
東京都港区三田2丁目、慶應義塾大学三田キャンパス東門に隣接して建つのが、三田春日神社(みたかすがじんじゃ)。天徳2年(958年)、武蔵国国府に赴任した藤原正房が氏神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を春日大社第三殿…
兵庫県佐用郡佐用町平福にある江戸時代の旗本陣屋の門が、平福陣屋門。山城の利神城(りかんじょう)廃城後、平福は松平氏5000石の旗本領で代官支配となりました。江戸時代、1万石以下の小藩の城を「陣屋」と呼び、その邸宅の入口に…
兵庫県佐用町平福、因幡街道随一の宿場町として栄えた平福宿。因幡街道と寄り沿うように流れる佐用川に架けられた、金倉橋の西側たもとは、江戸時代、平福藩の松原処刑場だった場所で、処刑人の追善供養のために建てられたと伝えられるの…