吉祥寺随一のパワースポットは、武蔵野八幡宮!
吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。 今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。
吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。 今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。
千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院で、深川不動として有名。江戸時代に明王の中でも中心的な存在で、力強い火炎で煩悩を焼き尽くす不動明王を信仰するブームが起こり、とくにその代表格である成田山新勝寺は、あまりの人気で、江戸で…
正月や盆の16日は、地獄の閻魔大王も罪人の呵責(かしゃく)を休むことから「地獄の釜の蓋も開く」という諺(ことわざ)が生まれています。1月16日、7月16日は「藪入り」(やぶいり)で、奉公人が奉公先から休みをもらい、実家に…
江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春…
太田道灌の江戸城築城の際に、川越喜多院に祀られた日吉社(山王権現)を勧請して創建。家康が江戸城の鎮守としました。2代将軍・徳川秀忠が江戸城外の麹町隼町に遷し、庶民の信仰が始まりました。国宝だった社殿は戦災で失いましたが、…
江戸時代の新宿は内藤新宿という甲州街道の宿場町でした。その甲州街道に面して建つ太宗寺は浄土宗の寺。少し耳慣れない言葉ですが「江戸三閻魔」(えどさんえんま)に数えられる閻魔像、さらには「江戸六地蔵」の地蔵菩薩像があることで…
江戸時代には旧暦1月15日が小正月、7月15日がお盆ということもあって、1月16日、7月16日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔大王を祀る寺では、縁日として賑わいました。藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人…
1690(元禄3)年、5代将軍・徳川綱吉によって建てられた孔子廟(こうしびょう=孔子を祀る霊廟)が前身。「日本の学校教育発祥の地」の碑が立つように幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた地であり、菅原道真を祀る湯島天神(湯島天満…
正式名は神田神社ですが、江戸時代以前からの神田明神で知られる「江戸総鎮守」。今でも東京の都心部、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神となっています。京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで「日本の三大…
徳川家康が江戸入府の際に、住職に出会ったことが寛永寺と並ぶ徳川将軍家尊崇の寺となったとも伝えられる芝・増上寺。江戸時代には広大な敷地を誇る大寺院で、東海道側に設けられた大門がその玄関口として機能していました。大門は現存し…
日本武尊が東征のおり、三浦半島・観音崎あたりから房総半島に渡る時、海が大時化(しけ)となり、難儀した際に、妃(きさき)の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投じて海神を鎮(しず)めました。その帰路、日本武尊は湯島(現・東…
合格祈願で有名な学業の神、菅原道真を祀る通称「湯島天神」。正式名は湯島天満宮ですが神社の公式HPも今や「湯島天神」に。創建は5世紀半ばとも伝えられますが、1478(文明10)年、太田道灌が再建、家康が崇敬したことで学者・…
1617(元和3)年、京・龍谷山本願寺(西本願寺)の別院として建てられた、浄土宗本願寺派本願寺築地別院。当初は浅草の横山町にありましたが、明暦の大火(「振り袖大火」)で焼失。その後、現在地に再建されています。往時の建物は…
江戸三大祭りのひとつに数えられる「三社祭り」が行なわれることでも知られる、東京都台東区、浅草にある古社。『浅草寺縁起』に登場する、隅田川で浅草寺の御本尊を感得した桧前浜成命(ひのくまのはまなりみこと)、桧前竹成命(ひのく…
東京でもっとも歴史を誇る寺は、浅草寺(せんそうじ)といわれていますが、そのルーツとなるお堂が駒形橋のたもと近くにある駒形堂。 『浅草寺縁起』によれば、浅草寺は兄弟が隅田川で漁をしていた際に1躰の仏像が網にかかったので自ら…
東京23区の自然地形での最高峰は、愛宕山(あたごやま/25.7m)です。家康の江戸入府以前は桜田山と呼ばれていましたが、徳川家康が関ヶ原の勝利を記念して1603(慶長8)年に愛宕権現を頂に勧請したことで、愛宕山と称される…
江戸時代、江戸市中にあった大名屋敷には各藩なだたる寺社の分社・分寺が勧請されていました。月に1回の縁日を決めて公開されて人気を博したのが、金毘羅(こんぴら)さんで知られる、丸亀藩江戸上屋敷の金毘羅大権現。江戸時代の後期に…
東京で出世祈願のパワースポットといえば、江戸の昔から愛宕山の「出世の石段」。この「出世の石段」には、この石段を馬で駆け上がったという勇壮な武士の美談が残されています。その愛宕山には江戸時代、家康が京の愛宕山(あたごやま)…