旧小澤家住宅
戦国時代には、信濃川河口右岸の蒲原津、阿賀野川河口(現・通船川河口)右岸の沼垂湊(ぬったりみなと)、信濃川河口左岸の新潟津が「三か津」と総称されていましたが、江戸時代には新潟津が北前船の寄港地として、さらに長岡藩の外港と…
戦国時代には、信濃川河口右岸の蒲原津、阿賀野川河口(現・通船川河口)右岸の沼垂湊(ぬったりみなと)、信濃川河口左岸の新潟津が「三か津」と総称されていましたが、江戸時代には新潟津が北前船の寄港地として、さらに長岡藩の外港と…
三輪山(467.1m)を御神体として、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る古社、大神神社(おおみわじんじゃ)。『古事記』、『日本書紀』にもその由緒が記されていますが、三輪明神とも呼ばれる神社に本殿がないのは、後方に…
弥彦山の山頂(神剣峯/634m)に鎮座する弥彦神社(正しくは彌彦神社)の奥宮が弥彦神社御神廟(彌彦神社御神廟)で、天香山命と妃神熟穂屋姫命を祀る弥彦山随一のパワースポット。弥彦山をご神体として祀る弥彦神社ですが、祭神の天…
霊山・弥彦山の麓に建ち、農業・漁業の神さま天香語山命(あめのかごやまのみこと)を祀るのが弥彦神社(正しくは彌彦神社)で越後国一之宮。天香語山命は、神武天皇の越国(こしのくに=越後・越中・能登・加賀・越前の5国)開拓経営の…
雪解けの6月には水芭蕉の花が満開に自然園の湿原中に咲き誇っていました。7月にはシラネアオイ、キヌガサソウ、サラサドウダン、サンカヨウ、チングルマなどの花も楽しめまました。短い夏を惜しむかのように咲き誇る高山植物。「お盆を…
2017年7月18日にリニューアルされた栂池ビジターセンター。入館者の感想は、「楽しめた!」というのが圧倒的な多数ですが、「温かみを感じる」、「のんびりできる雰囲気」という声も多く聞かれました。「温かみ」の背景に、実は平…
白馬三山を眺める、雲上の別天地・栂池自然園。「いちばん美しいところ」として注目を集める高層湿原ですが、下界でゆっくり朝食を取って、栂池パノラマウェイに乗り込んで・・・、となると歩き始めるのが昼近くに。
弥彦山スカイラインの弥彦山頂公園駐車場に隣接して建つユニークな回転昇降展望塔が弥彦山パノラマタワー。弥彦神社近くから山上までは弥彦山ロープウェイも通じています。52名乗りの展望室が回転しながら昇降するもので、越後平野はも…
新潟平野にそびえる弥彦山(やひこやま)は、古くから神の山として信仰されてきた霊山。英彦山(ひこさん/福岡県)、雪彦山(せっぴこさん/兵庫県)とともに「日本三彦山」にも数えられています。山頂は、東京スカイツリー(R)と同じ…
柏崎市と新潟市を海岸沿いに結ぶ国道402号のうち、長岡市寺泊町野積浜から新潟市西蒲区角田浜(角田峠)までの延長13.9kmの間を越後七浦シーサイドラインと呼んでいます。海岸沿いの断崖を抜けるルートは当初は「越後七浦有料道…
日本海に臨む標高482mの角田山から派生する尾根の末端、角田岬に建つ白亜の灯台が角田岬灯台。灯高は12.57m。海面から塔火部分までは49.69mもあります。角田浜駐車場から人道トンネルを抜け崖伝いに階段を登ると灯台に到…
信濃川・新潟西港に面して建つ歴史博物館が「みなとぴあ新潟市歴史博物館」。新潟は北前船の寄港する湊町で、全国各地の物産や文化の集散地でした。湊から河川を使って物資は流通し、江戸時代には商業基地として大いに繁栄したのです。明…
新潟市街の中心、白山公園の一角にある白山神社は、新潟の総鎮守。創建は平安時代に逆上るという古社で、戦国時代に上杉景勝は戦の帰途に鏡と啓を寄進しています。その名の通り石川県の白山山頂に祀られている女神、菊理媛命(くくりひめ…
佐渡市の両津湾入口、姫崎に建つ灯台で、佐渡の入口を守る灯台として、越佐海峡を航行する船舶の道標として、明治28年12月10日に初点灯。現存する日本最古の鉄造りの灯台で、「日本の灯台50選」に選定。さらにその歴史的、文化的…
二度の山体崩壊をおこした火山・磐梯山は、美しい自然を堪能するだけでなく、磐梯山ジオパークとして自然観察に絶好。磐梯山噴火記念館とは道を挟んで向い側にある、アミューズメント施設が磐梯山3Dワールド。高さ4.5m、長さ42m…
小野川湖と桧原湖(ひばらこ)の中間に建ち、明治21年7月15日に起きた磐梯山の大噴火100周年を記念して建てられたミュージアムが磐梯山噴火記念館。現在では磐梯山ジオパークとして注目を浴びる磐梯山の噴火の仕組みや噴火後の生…
桧原湖の西岸、喜多方市と結ぶ国道459号沿いにある道の駅。喜多方市街から磐梯高原を目指すとこの道の駅が高原の玄関口となります。みやげコーナー、郷土品コーナー、4月〜11月開設の農産物直売所、ラーメンと手打ちそばの「レスト…
国の名勝、会津松平氏庭園が御薬園(おやくえん)。室町時代の1434(永享6)年、会津守護職となった蘆名氏10代当主・葦名盛久(あしなもりひさ)が鶴ヶ城の前身である東黒川館に近い霊泉の湧き出すこの地に別荘を建てたのが始まり…