備前国分寺跡
岡山県赤磐市にある古代寺院の跡が備前国分寺跡。天平13年(741年)、国分寺創建の詔によって全国に建立された国分僧寺、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつ。古代、備前国の国府は今の…
岡山県赤磐市にある古代寺院の跡が備前国分寺跡。天平13年(741年)、国分寺創建の詔によって全国に建立された国分僧寺、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)のひとつ。古代、備前国の国府は今の…
岡山県岡山市北区にある全国屈指の巨大な円墳が小盛山古墳。直径は95m(造出部分まで含めた墳丘長は108m)で、古墳時代前期後半の4世紀後半頃の築造と推測されています。円墳の周囲には溜め池が4つあり、周濠の跡なのかは定かで…
岡山県赤磐市(あかいわし)にある巨大な前方後円墳が両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)。墳丘長206mという巨大な前方後円墳で、5世紀後半(古墳時代中期)頃の築造。備前地方では最大、岡山県でも第3位の巨大な前方後円墳で、ヤ…
兵庫県朝来市(あさごし)を走る北近畿豊岡自動車沿い、標高約144mの尾根の先端部に築かれた巨大な円墳が茶すり山古墳。5世紀前葉の大型円墳で、直径は90mもあり、円墳としては富雄丸山古墳(奈良県奈良市/直径109m)、丸墓…
兵庫県西宮市西波止町、御前浜公園の浜辺に残るのが西宮砲台跡。幕末、アメリカのペリー浦賀来航やロシア船ディアナ号大阪湾来航などにより、海防に不安を感じた江戸幕府は大阪湾岸の防備(摂海防備=摂津国の海岸部の防備)に着手します…
大阪府堺市にある大仙公園は50数基もの古墳が集まる百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)にあり、仁徳天皇陵(大仙古墳)に隣接する都市公園。38.5haの園内には古墳が点在するほか、江戸時代のため池を改修して造られたどら池を中心に…
神奈川県箱根町、旧東海道沿いに江戸時代から12代続く立場茶屋(たてばちゃや)の甘酒茶屋。平成21年に改築されていますが、杉皮葺きの建物で、土間に囲炉裏という構造は以前のまま。旧街道を散策し、名物の甘酒や力餅を味わい、いに…
神奈川県箱根町、元箱根の旧街道杉並木の途中、杉並木歩道橋近くに置かれた石碑が、ケンペルとバーニーの碑。箱根にゆかりのあるケンペルとバーニーの功績を顕彰したもの。箱根の自然の美しさとその保全の重要さを世界に訴えた箱根の恩人…
箱根越えの旧東海道沿いには、箱根関所から東の畑宿寄りの東坂、三島宿へと下る西坂ともに石畳が整備されていました。街道時代の雰囲気が色濃く残るのが、元箱根〜畑宿間の東坂に残る石畳で、箱根旧街道石畳と通称されています。当時の石…
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄う有名な『箱根馬子唄』(はこねまごうら)。馬子(まご)とは馬を引いて馬の背で荷物を運ぶ馬方のこと。畑宿から東海道の東坂を登りきった平坦地が八丁平(八町平)。馬子がひと息入…
神奈川県箱根町、寄木細工(よせぎざいく)で知られる旧東海道畑宿(はたじゅく)にある一里塚。畑宿は宿場ではなく立場(たてば)ですが、町並みのはずれに江戸から数えて23里目の一里塚が残されています。街道を挟んで両側に塚が残さ…
元和年間(1615年~1624年)に、箱根旧街道の美観を考慮して植林されたとも、箱根関所開設時に、川越城主・松平正綱によって設けられたともいわれている並木道が神奈川県箱根町にある旧街道杉並木。東海道では松並木が主体だが、…
渋沢栄一らが明治21年に埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)に創業した日本煉瓦製造会社。生産されたレンガの大量輸送を可能にしたのが、明治28年に日本鉄道・深谷駅から敷設した4.2kmに及ぶ専用の引込線。途中、備前渠鉄…
現在の埼玉県深谷市にあった旧日本煉瓦製造会社(明治21年創業)で大量に生産されたレンガは、日本の近代化に多大な貢献を果たしていますが、大量輸送を可能にしたのが、深谷駅から敷設された専用の引込線。廃線跡は、遊歩道「あかね通…
長野県下諏訪町は、中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点。街道時代の面影を色濃く残しているのが、諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)あたりの旧中山道です。本陣を務めた岩波家には、街道時代の建物の一部と庭園が…
愛知県新城市、長篠城(ながしのじょう)を眼前にする有海原の篠場野に立つ碑が鳥居強右衛門磔死之碑(とりいすねえもんたくしのひ)。長篠の戦いの際、徳川家康(岡崎城)への救援要請という重要な使命を負って豊川を泳ぎ下って長篠城の…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…
愛知県新城市、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)にある、決戦の際に弾正山( だんじょうやま )に構えた徳川家康本陣跡。武田軍に包囲され籠城した長篠城を救援するため徳川家康は設楽原に出陣し、弾正山に陣を構…