小盛山古墳

小盛山古墳

岡山県岡山市北区にある全国屈指の巨大な円墳が小盛山古墳。直径は95m(造出部分まで含めた墳丘長は108m)で、古墳時代前期後半の4世紀後半頃の築造と推測されています。円墳の周囲には溜め池が4つあり、周濠の跡なのかは定かでありません。

古墳時代前期に限定すれば日本最大の円墳

小盛山古墳以前の首長の大墳墓は、尾上車山古墳(おのうえくるまやまこふん/4世紀中葉〜後半に築造の前方後円墳)、中山茶臼山古墳(3世紀後半から4世紀頃の前方後円墳)ですが、ともに現在の山陽新幹線近く、古代には海に臨む場所だった立地に対し、4kmほど内陸(北側)に位置しているので、首長の勢力図、立場になんらかの変化があったと推測できます。

後継の首長の墓としては、佐古田堂山古墳(さこたどうざんこふん/5世紀頃の前方後円墳)、造山古墳(つくりやまこふん/5世紀前半築造の前方後円墳で、全国第4位の巨大古墳)があります。

『日本書紀』巻第十四に記される、雄略天皇7年(463年)、吉備下道前津屋(きびのしもつみちのさきつや)の事件、吉備氏の乱(吉備氏が新羅と結託してヤマト王権に対して起こした反乱)が起こり、吉備王国は終焉、あるいは勢力を削がれたといわれますが、ヤマト王権に対抗する権力を有した大首長の始まりは、小盛山古墳に埋葬された首長なのです。

名称 小盛山古墳/こもりやまこふん
所在地 岡山県岡山市北区平山
関連HP 岡山市公式ホームページ
電車・バスで JR吉備線高松駅から徒歩30分
ドライブで 岡山自動車道岡山総社ICから約5km。山陽自動車道吉備スマートICから約7km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
中山茶臼山古墳

中山茶臼山古墳

北麓には吉備津神社、東麓には吉備津彦神社、南麓には尾上車山古墳(国の史跡)があるという古代吉備国の聖なる山が岡山市の「吉備の中山」。その吉備の中山に造られた墳長120mの前方後円墳が中山茶臼山古墳。宮内庁は「大吉備津彦命墓(おおきびつひこの

造山古墳

造山古墳

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