犀ヶ崖資料館
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
京都の東山にある豊国神社(とよくにじんじゃ)。「ほうこく」とも「とよくに」とも呼ばれ、祭神は豊臣秀吉。京は秀吉が大名として統治した場所。秀吉は死後、遺言により東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、方広寺の鎮守社である豊國社に祀られまし…
綾部市で昭和63年に発見された私市円山古墳(きさいちまるやまこふん)は、5世紀中頃築造の全長81m、高さ10mの円墳。1000基を超える古墳群が形成された由良川中流域では最大規模を誇る古墳です。3段構成の墳丘からは、武具…
赤岩は、群馬県中之条町の山間にある養蚕集落。明治以前から養蚕が行なわれ、明治初期には近代養蚕技術の移入とともに前橋に繭が出荷され、その後は養蚕集落に変化しました。現在でも頑丈な養蚕農家の建物が現存し、一帯63haは、群馬…
伊勢崎藩医だった今村家が、明治45年に建てた現存する県内最古の擬洋風の医院建築がいせさき明治館(黒羽根内科医院旧館)。伊勢崎保健所、黒羽根内科医院などに使われましたが、黒羽根内科医院の新館完成で伊勢崎市へ寄贈され、現在地…
掩体壕(えんたいごう)とはコンクリート製かまぼこ型シェルターのこと。高知龍馬空港のすぐ西側、大湊小学校、大湊保育園一帯は、かつての高知海軍航空隊の基地だった場所。そこに7基の掩体壕が現存しており、前浜掩体群と呼ばれていま…
南国市の岡豊山(標高97m)山麓にある県立の博物館が高知県立歴史民俗資料館。岡豊山には長宗我部氏が築き、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の土佐統一の拠点となった岡豊城跡があり、博物館の常設展示も長宗我部展示室となって…
律令制時代の国司が政務を執る国庁が置かれたのが国府です。土佐国府は、南国市立国府小学校の南東200mほどの所にあるのが古代の土佐国の国衙(こくが=国司が地方政治を遂行した役所)の跡と推測されています。国司の館跡の遺構は発…
南国市岡豊町八幡の通称・岡豊山(標高97m)に位置する山城が岡豊城跡(おこうじょうせき)で、国の史跡。戦国武将・長宗我部氏(ちょうそかべし)の居城だった地。蛇紋岩(じゃもんがん)で成り立つ山は、東から南斜面にかけて急傾斜…
南国市比江土居屋敷にある古代寺院の塔跡が比江廃寺塔跡。塔の心礎だけしか現存しておらず、寺の名前も定かでないため「比江廃寺塔跡」という通称で呼ばれています。白鳳時代に古瓦も出土し、伽藍配置も法隆寺式であることから高知県では…
都佐国造(とさのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国東部)と波多国造(はたのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国西部)を合わせてつくられた古代の土佐国。国府は長岡郡にあり、南国市比江で国司が地方政治を行なった役所である国…
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録される東寺ですが、京都のシンボル的な存在となっているのが国宝の五重塔。高さ54.8mは木造塔としては日本一の高さを誇っています。
世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ東寺(教王護国寺)の中心となる堂宇が金堂。東寺が空海に下賜された823(弘仁14)年までには完成していたと推測される寺の本堂です。創建時の建物は1486(文明18)年の土一揆…
東寺真言宗の総本山が東寺(教王護国寺)。794(延歴13)年の平安京造営に際し、国家鎮護のため羅城門の東に創建さた歴史ある官寺。823(弘仁14)年に空海が譲り受けて真言宗の道場と改めたため、弘法さんの寺として信仰を集め…
幕末の1857(安政4)年に、長崎での踏み絵が廃止され、外国人のための聖堂建立が認められました。大浦天主堂は1864(文久3)年にフランス人・フューレ神父とその志を継いだプチジャン神父によって建立され、別名フランス寺とも…
一般には三十三間堂の名で知られていますが、正式には蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。妙法院に属する堂で、妙法院の境外仏堂。1164(長寛2)年に後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿の一角に平清盛に命じて創建した…