高知県立歴史民俗資料館
南国市の岡豊山(標高97m)山麓にある県立の博物館が高知県立歴史民俗資料館。岡豊山には長宗我部氏が築き、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の土佐統一の拠点となった岡豊城跡があり、博物館の常設展示も長宗我部展示室となって…
南国市の岡豊山(標高97m)山麓にある県立の博物館が高知県立歴史民俗資料館。岡豊山には長宗我部氏が築き、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の土佐統一の拠点となった岡豊城跡があり、博物館の常設展示も長宗我部展示室となって…
律令制時代の国司が政務を執る国庁が置かれたのが国府です。土佐国府は、南国市立国府小学校の南東200mほどの所にあるのが古代の土佐国の国衙(こくが=国司が地方政治を遂行した役所)の跡と推測されています。国司の館跡の遺構は発…
南国市岡豊町八幡の通称・岡豊山(標高97m)に位置する山城が岡豊城跡(おこうじょうせき)で、国の史跡。戦国武将・長宗我部氏(ちょうそかべし)の居城だった地。蛇紋岩(じゃもんがん)で成り立つ山は、東から南斜面にかけて急傾斜…
南国市比江土居屋敷にある古代寺院の塔跡が比江廃寺塔跡。塔の心礎だけしか現存しておらず、寺の名前も定かでないため「比江廃寺塔跡」という通称で呼ばれています。白鳳時代に古瓦も出土し、伽藍配置も法隆寺式であることから高知県では…
都佐国造(とさのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国東部)と波多国造(はたのくにつくりのみやっこ)の領域(土佐国西部)を合わせてつくられた古代の土佐国。国府は長岡郡にあり、南国市比江で国司が地方政治を行なった役所である国…
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録される東寺ですが、京都のシンボル的な存在となっているのが国宝の五重塔。高さ54.8mは木造塔としては日本一の高さを誇っています。
世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ東寺(教王護国寺)の中心となる堂宇が金堂。東寺が空海に下賜された823(弘仁14)年までには完成していたと推測される寺の本堂です。創建時の建物は1486(文明18)年の土一揆…
東寺真言宗の総本山が東寺(教王護国寺)。794(延歴13)年の平安京造営に際し、国家鎮護のため羅城門の東に創建さた歴史ある官寺。823(弘仁14)年に空海が譲り受けて真言宗の道場と改めたため、弘法さんの寺として信仰を集め…
幕末の1857(安政4)年に、長崎での踏み絵が廃止され、外国人のための聖堂建立が認められました。大浦天主堂は1864(文久3)年にフランス人・フューレ神父とその志を継いだプチジャン神父によって建立され、別名フランス寺とも…
一般には三十三間堂の名で知られていますが、正式には蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。妙法院に属する堂で、妙法院の境外仏堂。1164(長寛2)年に後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿の一角に平清盛に命じて創建した…
京都には平安京以前に、恭仁京(くにきょう)、長岡京が置かれていますが、最初に配されたのが聖武天皇時代の恭仁京です。現在の木津川市加茂で、大極殿の跡地など一帯は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」として国の史跡となっています。恭仁…
聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、山城国(やましろのくに=当時は山背国)国分僧寺(金光明四天王護国之寺/こんこうみょうしてんのうごこくのてら)の寺院跡があるのが京都府木津川市加茂町。聖武天皇が平城京から…
東海道で唯一現存する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で赤坂宿には83軒の旅籠がありましたが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き…
東海道の江戸から35番目の宿場町、御油宿(ごゆしゅく)は、街道時代には本陣・脇本陣を含め62軒の旅籠が軒を連ねていた大宿。江戸から76里4丁と日本橋からちょうど400kmの場所に位置していました。現在も御油町には、昔なが…
東海道御油宿の羽川のたもとに位置する「御油の松並木資料館」は、御油宿、赤坂宿の歴史や御油の松並木について紹介、解説する歴史資料館。規模は大きくありませんが地元に残る貴重な資料など100点余が展示されています。
『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木が愛知県豊川市御油町にある御油の松並木。旧東海道・御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいます。旧東海道の中で唯一、国の天然…
吉良上野介や、吉良の仁吉で有名な西尾市吉良町にある古刹、金蓮寺(こんれんじ)。創建は定かでありませんが、1340(暦応3)年、足利尊氏が現在の場所に寺を移し、青蓮山金蓮寺とし、江戸時代には吉良氏の帰依で寛政年間(1789…
常陸国笠間藩から入封した浅野長直(あさのながなお)が、慶安元年(1648年)から13年の歳月を費やして築城した名城が赤穂城。甲州流軍学による縄張りは、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式で、近世城郭史上珍し…