史跡小牧山
濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短…
濃尾平野の東部にある標高85.9mの独立峰が小牧山。織田信長は1563(永禄6)年に小牧山城を築城し、清洲から居城を移していますが、4年後に美濃の斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤龍興)を攻略して稲葉山城(岐阜)へ移り、短…
中世に尾張国守護所があり尾張の中心地だった清須(清洲)。1555(弘治元)年に織田信長が那古野城(なごやじょう=名古屋城の前身)から入城し、この清須を拠点に尾張統一を果たし、天下布武への足がかりを築きました。今川義元を討…
織田信長は、1562(永禄5)年に徳川家康と清洲城(清須城)で清洲同盟を結ぶと、いよいよ濃尾平野の制覇、美濃攻略の拠点として1563(永禄6)年、濃尾平野を見渡す小牧山(こまきやま)に城を築いています。小牧山城の構造は、…
岩崎城は尾張国の東端を守る信長の父・織田信秀が築城した織田氏の支城。その後丹羽氏の居城となり、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(信長の二男)の連合軍が戦う小牧・長久手の戦いの激戦地となっています。模擬天守は、岩崎城歴史記念館…
かつての清洲城の城跡は東海道本線と東海道新幹線によって南北に分断されていますが、南側の城跡が清洲公園(北側が清洲古城跡公園)。「清洲村古城地図」をもとに、清洲城本丸・天守台の地域の保存を目的として大正11年に開園した都市…
江戸と京を結んだ東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで伊勢湾を船で渡りました(海路を嫌った人のための佐屋街道もありました)。その距離から「七里の渡し」と呼ばれた航路で、その渡船場跡が「宮の渡し…
「日本の女優第1号」といわれる川上貞奴(かわかみさだやっこ)が女優引退後、電力王と呼ばれた福澤桃介とともに暮らしていた邸宅を移築保存したもの。大正2年に「名古屋電燈」の取締役に就任した福澤桃介は木曽川の電源開発に着手する…
名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として昭和7年に建てられたレトロな建物。名古屋の陶磁器生産が全盛だった時代の優雅な建物で、1階には素敵な陶磁器が展示されています。スクラッチタイル貼りの外観、アールデコ調の館内とハウス…
掛川城大手門は、二層式の櫓門(やぐらもん)。平成5年の発掘調査で12ヶ所の礎石根固め石が確認され平成7年に往時の位置から50m北にずらして復元されています。棟上には鯱瓦が飾られた勇壮な建物で、観光の拠点となる市営の掛川大…
城下に時を知らせるための大太鼓が置かれた櫓で、往時には掛川城の三の丸にありました。二の丸にあった荒和布櫓(あらめやぐら)にかわって、昭和30年に太鼓櫓が移築されています。時を告げた太鼓は、掛川城御殿玄関に置かれています。
掛川城の正門にあたる大手門横で、城内に出入りする者を監視する役人の詰め所だったのが大手門番所。現存する番所は、江戸時代末期に建てられたもの。この番所が東海道掛川宿から掛川城に入るルートの最初のチェックポイントとなっていま…
掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所で…
東海道の要衝を守る名城、掛川城。現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守ですが、往時の様子を忠実に再現しています。近世城郭を築いたのは、平成18年のNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊。天下…
地鯉鮒宿(ちりふしゅく/現・知立市)と鳴海宿(なるみしゅく/現・名古屋市緑区鳴海町)の間にある東海道の宿場(間の宿)が有松宿で、間の宿ながら愛知県内の宿場では往時の様子をもっとも色濃く残している宿場です。1608(慶長1…
江戸時代に東海道の「間の宿」として栄えた有松(ありまつ/名古屋市緑区)の名物が有松絞り。その家並みは重要伝統的建造物群保存地区となっていますが、その一画に建つ有松鳴海絞会館は、絞りの歴史資料や技術を、実物で展示解説する資…
名古屋駅と名古屋城の間、四間道(しけみち)と呼ばれる道沿いに土蔵や町屋が軒を連ねる一角があります。名古屋城築城に伴い、それまでの尾張の中心地であった清洲から城下町機能の全てが移転し(「清洲越し」のと呼ばれる城下町の移転)…
愛知県内に現在も残る5つの一里塚のひとつで、名古屋市内では唯一残っているもの。一里塚は1604(慶長9)年に徳川幕府が街道を整備し、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとしたもの。笠寺一里塚は、東海…
犬山は城下町が形成された時代のままの町割りがほぼ完全に残されていますが、本町通りは城下町のメインストリート。大手門跡(現在の犬山市福祉会館)から南が町人地として町割された場所で、上本町・中本町・下本町・名栗町・外町・鵜飼…