千葉城跡(亥鼻公園)

亥鼻(いのはな)は猪の鼻のように突き出した地形という意味。都川河口に突き出した台地の上に千葉氏の居館だった亥鼻城(千葉城)があり、千葉発祥の地となっています。源頼朝の重鎮だった千葉常胤(ちばつねたね=一の谷合戦、奥州藤原氏討伐などに参戦)の父・常重が1126(大治元)年に居館を構えたのが始まり。

千葉常重の城館だった亥鼻城は「千葉市発祥の地」

千葉駅の2kmほど南東の都川に臨む高台が千葉氏の居館跡の亥鼻城跡。城跡が公園として整備される亥鼻公園には土塁や礎石などが残るほか、千葉常重の子・常胤が源頼朝に茶を献じ、徳川家康が鷹狩途中に喉を潤したという泉、お茶の水の跡が残されています(土塁が残るのは茶店「いのはな亭」近く、「いのはな亭」からお茶の水に向かう途中、原爆犠牲者慰霊碑手前にあります)。
都川河口付近の結城浦(千葉の湊)が交易の玄関口で、相模国金沢(現在の横浜市金沢区)などとも舟運で結ばれていました。

千葉氏は源頼朝に味方した千葉常胤以降、各地に領地を獲得して勢力を拡大しました。
公園内には日本庭園も整備され、茶店「いのはな亭」では名物「いのはな団子」も味わえます。また公園にはソメイヨシノが100本ほど植栽され、開花期には『千葉城さくら祭り』も開催。

亥鼻公園は明治42年に建設され、昭和34年に歴史公園として整備されています。公園内には模擬天守(千葉城)の千葉市立郷土博物館、千葉県立図書館、千葉県文化会館という文化施設もあって、千葉市の文化ゾーンとなっています。ちなみに千葉市立郷土博物館は4層5階の立派な天守なのですが、千葉氏の居館は平安末期から鎌倉時代で、当然、ここには天守はありませんでした。

千葉常重・千葉常胤と「千葉開府900年」

大椎常兼(おおじいつねかね)の子・常重は、1126年(大治元年)6月1日、大椎(現・千葉市緑区大椎町)から千葉に移住し、千葉常重と称しました。千葉市はこれが都市としての千葉の発祥(ルーツ)として、2016年が千葉開府890年、2026年が記念すべき千葉開府900年としています。千葉常重が名字とした千葉庄(荘園)もほぼ同じ時代に暲子内親王(あきこないしんのう=八条院)に寄進され成立しています(鳥羽天皇の皇女である八条院は中世皇室領の中枢をなす一大荘園群を所有していました)。この荘園は下総国最大級の荘園でした。その子・千葉常胤(下の画像)は、源頼朝が伊豆で挙兵し、平家方との戦いに敗れて房総に逃れてくるといち早くこれに味方し、さらには鎌倉を拠点にすることをも進言しています。その活躍から、千葉氏は鎌倉幕府の中でも屈指の御家人に成長したのです。

千葉常胤像
千葉城跡(亥鼻公園)
名称千葉城跡(亥鼻公園)/ちばじょうせき(いのはなこうえん)
所在地千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1
関連HP千葉市観光協会公式ホームページ
電車・バスで千葉都市モノレール1号線県庁前駅から徒歩13分、JR本千葉駅から徒歩15分
ドライブで京葉道路松ヶ丘ICから約3.3km。または、千葉東金道路千葉東ICから約3.1km
駐車場なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ千葉市都市局公園緑地部中央・美浜公園緑地事務所 TEL:043-279-8440
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
本佐倉城

本佐倉城

千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉の境界に位置する将門山に築かれた中世の城が、本佐倉城(もとさくらじょう)。文明年間(1469年~1486年)、下総(しもふさ)守護・千葉輔胤(ちばすけたね)が築城し、千葉氏の本拠だった城で、国の史跡に

千葉市立郷土博物館

猪鼻城(千葉城)の土塁跡が残る亥鼻公園(いのはなこうえん)内に建つ千葉市の歴史や民俗、天文に関する資料を展示する博物館。天守閣風の建物は千葉城をモチーフにしたもので、1〜4階が展示室になり、歴史年表やパネル、民俗資料などが展示されています。

 

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