下総台地と印旛沼の低湿地からなる千葉県佐倉市は、江戸幕府防衛の拠点として佐倉城が築城され、のちに房総最大、堀田氏11万石の城下町として栄えた地。旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3棟が建ち並ぶのが佐倉武家屋敷群。江戸時代後期に建てられた中級武士の簡素な住まいが、当時の生活をしのばせてくれます。
関東を代表する武家屋敷群が佐倉に健在!
現在の佐倉市は、ベットタウン化の波に押されていますが、市街中心部の曲がりくねった路地には土蔵の家並みが残り、今なお城下町の面影を伝えています。
鏑木小路の通りに沿って建つ3軒の武家屋敷は、それぞれ格式、石高などが違うので、比べながら当時の藩士の暮らしを知ることができます(旧但馬家のみ往時の場所に建っていますが、他の2棟は少しだけ移されています)。
昭和56年に行なわれた「佐倉の武家屋敷調査」では、明治維新前後を含む25棟の武家屋敷が確認されています。
500坪前後の敷地の道路側に生け垣を造り、主屋の前後にかなり広い庭や菜園が配され、背後が崖に接しています。
道路に面して築かれた土塁や生垣にも注目を。
対して台地中央を通る成田街道に沿って築かれた新町通りは、江戸時代に商人の街として栄えた通りです。
築城当時は佐倉城の西側と南側は鹿島川と高崎川が流れ、北側には印旛沼に至る低湿地が広がっており、東側の尾瀬筋だけが登城の道となっていました。
佐倉城の防御の弱点でもあるため、土塁を有する武家屋敷や寺町を城の東側に配置したのです。
明治維新後になると、佐倉城跡に陸軍佐倉連隊が設置され、多くの武家屋敷はそのまま軍人屋敷に転用されています。
佐倉の武家屋敷群は、日本遺産「北総四都市江戸紀行 ~江戸を感じる北総の町並み~」の構成資産にもなっています(北総四都市=佐倉、成田、佐原、銚子)。
武家屋敷、旧堀田邸、佐倉順天堂記念館の3館を見学できる三館共通入館券も発売。
佐倉武家屋敷群 | |
名称 | 佐倉武家屋敷群/さくらぶけやしきぐん |
所在地 | 千葉県佐倉市宮小路町57 |
関連HP | 佐倉市公式ホームページ |
電車・バスで | 京成本線京成佐倉駅から徒歩17分。または、JR佐倉駅から徒歩20分 |
ドライブで | 東関東自動車道佐倉ICから約7.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 佐倉武家屋敷 TEL:043-486-2947 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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