千葉県勝浦市、平安時代中期から江戸時代初期まで続いた、勝浦城主・正木氏の居城・勝浦城跡に整備された自然公園が八幡岬公園。散策路や子供の広場などが設けられており岬の頂上にある展望広場の展望デッキからは、勝浦灯台(ひらめヶ丘)や勝浦湾、太平洋の大海原が眼前に広がり、雄大な眺めが楽しめます。
勝浦城のあった高台の岬一帯は展望公園に
八幡岬(勝浦城)は、徳川家康の側室・お万の方の生誕地。
お万は、天正5年(1577年)、勝浦城主・正木頼忠(まさきよりただ)の娘として生誕。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻め(小田原城攻略)に際して家康家臣・本多忠勝に攻められて勝浦城は落城。
このとき14歳のお万は、果敢に炎上する城を抜け、幼い弟を背負って母とともに八幡岬の断崖に布を垂らして海岸に下り、小舟で館山に脱出したと伝えられています。
これが「お万の布さらし」伝説。
その後、お万は家康に見い出され、17歳で江戸城に入り、徳川頼宣(とくがわよりのぶ/家康の十男、紀州徳川家初代藩主)、徳川頼房(とくがわよりふさ/家康の十一男、水戸徳川家初代藩主)の生母となっています。
そんな「お万の布さらし」伝説の地として八幡岬公園にはお万様の像が立っています。
ちなみに駿府城(すんぷじょう=静岡市にあった徳川家康の隠居所)のお万の居間は、移築され妙法華寺奥書院(静岡県三島市玉沢)として現存。
八幡岬公園 | |
名称 | 八幡岬公園/はちまんみさきこうえん |
所在地 | 千葉県勝浦市浜勝浦221 |
関連HP | 勝浦市公式ホームページ |
電車・バスで | JR外房線勝浦駅からタクシーで5分 |
ドライブで | 館山自動車道市原ICから約50km。または、圏央道市原鶴舞ICから約32km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 勝浦市観光商工課 TEL:0470-73-6641 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag