千葉県成田市にある宗吾霊堂(そうごれいどう)は、正式名は鳴鐘山東勝寺で真言宗豊山派の寺。寺伝によれば桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が房総平定の際に創建したという古刹です。寺地は火災などで変遷し、寛文2年(1662年)、現在地に定まっています。義民・佐倉宗吾(佐倉惣五郎)ゆかりの寺として有名。
幕末に歌舞伎で大ヒットした義民・佐倉宗吾ゆかりの霊堂
真言宗の寺で、本尊は大日如来ですが、本堂には江戸時代の義民、佐倉宗吾(佐倉惣五郎/本名は木内惣五郎)の霊が祀られ宗吾霊堂と呼ばれています。
佐倉宗吾は、下総国印旛郡公津台方村(こうづだいかたむら=現在の千葉県成田市台方)の名主で、佐倉藩の悪政に苦しむ農民を救うため、4代将軍・徳川家綱に直訴、磔(はりつけ)に処せられています(ただし、佐倉宗吾についてはほとんど記録がなく、一揆や直訴を行なったということを記した史料はありません)。
時の藩主・堀田正信(ほったまさのぶ)は佐倉宗吾の怨霊で改易になったと伝えられているのです(実際には幕政批判の上書を幕閣・保科正之や阿部忠秋に提出のため)。
後の延享3年(1746年)、山形から入封した堀田正亮(正信の弟・正俊の家系)が惣五郎百周忌にあたり口ノ明神(現・将門口ノ宮神社/佐倉市将門町)を遷宮し、佐倉宗吾に涼風道閑居士という法号を諡号しました。
以来、佐倉惣五郎は宗吾様と呼ばれるようになり、江戸時代後期には庶民のヒーローとして描かれるようになったのです。
境内には、仁王門や鐘楼堂、宗吾親子の墓、宗吾ゆかりの品を展示する霊宝殿、パノラマ式の「宗吾御一代記館」が建てられています。
現存する本堂は大正10年の再建です。
仁王門は、昭和53年、佐倉宗吾の325年忌記念事業として建てられたもの。
主人公・浅倉当吾は、佐倉惣五郎がモデルです。
百姓一揆をテーマとする歌舞伎は幕末(1850年代)に全国的に有名になりました。
明治維新後、福沢諭吉や自由民権活動家は、彼らの主張の先駆者として佐倉宗吾の名を上げています。
同時に佐倉義民伝も知れ渡りますが、実は公津台方村に惣五郎(本名木内惣五郎)は実在してはいたのですが、惣五郎一揆を立証する史料は見つかっていません。
成田市台方の麻賀多神社近くには宗吾旧宅が現存し、子孫である木内氏が惣五郎の位牌や古文書を守っています。
宗吾霊堂(東勝寺) | |
名称 | 宗吾霊堂(東勝寺)/そうごれいどう(とうしょうじ)) |
所在地 | 千葉県成田市仲町383-1 |
関連HP | 成田市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 京成本線宗吾参道駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東関東自動車道富里ICから約5km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 宗吾霊堂慈眼閣総合事務所 TEL:0476-27-3131 |
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