千葉県松戸市にある最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の実弟で、水戸藩最後の藩主、徳川昭武(とくがわあきたけ)の別邸が戸定邸。高台に位置する一帯は戸定が丘歴史公園として整備され、戸定邸の向かい側には松戸市戸定歴史館が建っていて、水戸徳川家ゆかりの品々を展示しています。
水戸藩最後の藩主・徳川昭武が、維新後に松戸に建てた別邸
明治17年の4月に座敷開きが行なわれた戸定邸。
増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23という豪邸です。
しかし、これでもすでに大名家ではなくなったため、規模は縮小されているといい、来客との交際に使う部分、家族が生活空間、働く人の空間に分かれ、使われる材木の質が異なっています。
建物は、旧徳川家住宅松戸戸定邸として国の重要文化財に指定。
戸定邸の調度品、水戸徳川家伝来の写真など、ゆかりの品は、松戸市戸定歴史館に収蔵展示されています。
徳川昭武は、幕末の慶応2年(1867年)、パリ万国博覧会に将軍・徳川慶喜の名代としてヨーロッパに派遣され、香港、仏領サイゴン、シンガポール、セイロンなどを経由し、スエズ運河経由で50日をかけて渡仏。
渡欧中に、大政奉還、そして鳥羽・伏見の戦いの報がフランスの新聞にもたらされ、新政府からの帰国命令書が届いたため、日本に帰国しています。
長兄である水戸藩主・徳川慶篤が没したことを知らされたのもパリで、最後の藩主といっても、すでに大政奉還後のことなのです。
慶応4年11月3日(1868年12月6日)、神奈川湊に帰着。
明治2年(1869年)、版籍奉還で水戸藩知事となり、明治7年、陸軍少尉に任官、さらに明治9年にはフィラデルフィア万国博覧会の御用掛となって渡米し、訪欧して明治14年に帰国しています。
明治16年5月にはまだ30歳の若さながら甥の徳川篤敬(とくがわあつよし=水戸藩第10代藩主・徳川慶篤の長男)に家督を譲って、隠居し、戸定邸を建てています。
つまり、戸定邸は隠居屋敷ということに。
明治22年2月1日、東海道線の静岡以東が開通すると、静岡に暮らす徳川慶喜も4月30日に早速、松戸の戸定邸を訪れ、東京暮らしの母・吉子とともに5月9日まで過ごしています。
「戸定邸」からは例年11月12~13日頃、そして1月29日頃に富士山頂に日が沈むダイヤモンド富士を眺めることが可能で、戸定が丘歴史公園内戸定邸として「関東の富士見百景」にも選定されています。
毎月5と0のつく日は戸定の日として、戸定邸から庭園(国の名勝)へ降りて見学することができますが、その庭園から、空気の澄んだ日に富士山が見えるのです。
戸定邸 | |
名称 | 戸定邸/とじょうてい |
所在地 | 千葉県松戸市松戸714-1 |
関連HP | 松戸市公式ホームページ |
電車・バスで | JR松戸駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東京外環自動車道三郷南ICから約4.4km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 松戸市生涯学習部社会教育課 TEL:047-366-7462/FAX:047-366-7055 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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