東京の大名庭園へ行こう! 必踏五大庭園

江戸に数ある大名庭園。東京とりっぷ編集部の調べでは、大名庭園の遺構といえるのは、23庭園。なかでも「ここはぜひとも探勝したい!」、「大名気取りで庭園を歩くことができる」とおすすめの庭園が、ここに紹介する「必踏五大庭園」。江戸時代には庶民が見ることのできなかった大名庭園が探勝できます。

まずは東京の大名庭園 必踏五大庭園

江戸時代、庶民はお目にかかることのできなかった大名庭園。現在、往時の姿を比較的によく残しているのが、「必踏五大庭園」です。
逆にいえば、広い東京に池泉回遊式の庭園スタイルを完全に残した大名庭園は5ヶ所しかないことになります。

明治維新後、広い庭園を維持することができたのは、皇族、華族(公・侯・伯・子・男の爵位を持つ人)、そして財閥(三井、三菱、住友、安田、藤田など)の代表者くらいに限られたのです。

江戸時代、将軍の別邸だった浜御殿は、天皇家の離宮となった後に、東京市に「下賜」されているので、浜離宮「恩賜」公園となっています。
美しい庭園を現代に伝えるため、明治以降にどういった歴史をたどったのかを知ることも、大名庭園を訪れる楽しみのひとつです。

必踏五大庭園 将軍家別邸/浜離宮恩賜庭園

Hama-rikyu Gardens
東京都中央区浜離宮庭園1-1

浜離宮恩賜庭園

江戸時代、将軍家の別邸、浜御殿が建てられ、6代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)が造園を完成させた大名庭園。明治維新後は皇室の離宮となり、浜離宮と呼ばれるように。戦後、都の公園として移管。入口近くの将軍・家宣の大改修を記念して植栽された「三

必踏五大庭園 佐倉藩・紀州藩浜屋敷/旧芝離宮恩賜庭園

Kyu-Shiba-rikyu Gardens
東京都港区海岸1丁目

旧芝離宮恩賜庭園

1678(延宝6)年、佐倉藩主で老中・大久保忠朝(おおくぼただとも)が4代将軍・徳川家綱から拝領した大名庭園「楽壽園」が前身となるのが旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)。往時には江戸湾に面し、海の水を庭園に引き込む潮入の庭

必踏五大庭園 水戸藩上屋敷/小石川後楽園

Koishikawa Korakuen Gardens
東京都文京区後楽1丁目

小石川後楽園

徳川御三家のひとつ、水戸藩初代藩主・徳川頼房が江戸上屋敷の庭園として造園を指示、水戸黄門で知られる2代藩主・徳川光圀が完成した、江戸初期の代表作的庭園。東京に残る江戸時代初期の大名庭園は、小石川後楽園と、旧芝離宮恩賜庭園のみ。浜離宮恩賜庭園

必踏五大庭園 川越藩下屋敷/六義園

Rikugien Gardens
東京都文京区本駒込6丁目

六義園

5代将軍・徳川綱吉の信頼を得て側用人(そばようにん)となった柳沢吉保の別荘として、1695(元禄8)年に造園された大名庭園。敷地面積約8万7000平方メートルを誇り、江戸初期を代表する池泉回遊式庭園には、将軍・綱吉も数十回、訪れたと伝えられ

必踏五大庭園 関宿藩下屋敷/清澄庭園

Kiyosumi Gardens
東京都江東区清澄3丁目

清澄庭園

三菱財閥の祖・岩崎弥太郎の命により、明治13年に完成した池泉回遊式庭園。もとは下総国関宿の城主・久世家の荒廃した下屋敷だった場所を蘇らせ、賓客の接待や社員の慰安所として使用した。造園に大変な関心を寄せていた弥太郎は、こよなく石を愛したことで

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