薩摩藩は兵農分離を行なわず、外城制(とじょうせい)という中世的な制度で支配していました。藩庁となった鹿児島城が日本100名城、シラス台地に築かれた中世の山城の志布志城と知覧城が続日本100名城に選定。以上の3城が鹿児島県三大名城といえる城でしょう。
鹿児島城|日本100名城
所在地:鹿児島県鹿児島市城山町7-2
築城年:慶長7年(1602年)
築城者:初代藩主・島津家久
主な城主:島津吉貴(しまづよしたか)、島津斉彬(なりあきら)
史跡:鹿児島県の史跡
石垣:堀、石垣
備考:明治維新を迎えるまで島津氏12代に渡り居城となった城で、薩摩藩の藩庁
「人をもって城となす」の方針から天守は築かれていません
近世城郭を築かなかった背景には、徳川幕府への配慮、さらには77万石といってもシラス台地が多い土地ゆえに実際の実効石高はその半分ともいわれる財政状況があったと推測できます
令和2年に鶴丸城御楼門を復元
志布志城|続日本100名城
所在地:鹿児島県志布志市志布志町帖6380
築城年:不明(南北朝時代に拡充)
築城者:不明
主な城主:新納是久(にいろこれひさ)
史跡:国の史跡
遺構:曲輪、土塁、堀切など
備考:中世を通じて島津方の前線拠点となった山城
中心となる内城(本丸)は、南北600m、東西300mで、空堀で隔てられた6つの廓があります
複雑に入り組んだ空堀(シラス台地を掘り下げた堀)が見どころ
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城に
知覧城|続日本100名城
所在地:鹿児島県南九州市知覧町郡
築城年:平安時代末
築城者:郡司・知覧忠信
主な城主:佐多忠光
史跡:国の史跡
遺構:曲輪、空堀
備考:標高170mほどのシラス台地に築かれた中世の山城
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となっていますが、知覧城の支城・亀甲城の山麓に知覧麓(ちらんふもと)が築かれ、藩政時代に武家屋敷が築かれています
鹿児島県三大名城とは!? | |
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