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長崎県五大名城とは!?

長崎県五大名城

長崎県にある名城は、松浦氏(平戸藩主)の居城・平戸城(平戸市)、島原藩の藩庁・島原城(島原市)が日本100名城、対馬に築かれた古代山城・金田城(かなたのき/対馬市)、幕末に福江藩が築いた福江城(五島市)、世界遺産の原城(南島原市)が続日本100名城で、以上が長崎県五大名城といえるでしょう。

平戸城|日本100名城

所在地:長崎県平戸市岩の上町1529
築城年:慶長4年(1599年)
築城者:下松浦党の棟梁・松浦鎮信(法印)
主な城主:松浦鎮信(法印)、松浦鎮信(天祥)、松浦棟(まつらたかし)
史跡:長崎県の史跡
文化財:狸櫓、北虎口門が現存
備考:平戸藩の藩庁機能は平戸城にはなく、山麓の居館を使い、かつての藩庁があったのが現在「松浦史料博物館」が建つ場所
現在の天守は昭和37年に再建された3層5階建ての模擬天守、二の丸には懐柔櫓(かいじゅうやぐら)、地蔵坂櫓、見奏櫓を復元
懐柔櫓は、日本100名城では初の城郭宿泊施設になっています

平戸城

長崎県平戸市にあった城で、江戸時代には平戸藩松浦(まつら)氏の居城だったのが平戸城(ひらどじょう)。下松浦党の棟梁・松浦鎮信(法印)が戦国時代に日之嶽に海(平戸瀬戸)を天然の外堀にして築城した平山城が始まり。三方の海を外堀にした平山城で、日

島原城|日本100名城

所在地:長崎県島原市城内
築城年:元和4年(1618年)から7年を費やして築城
築城者:松倉重政
主な城主:松倉勝家(島原の乱の当事者で、乱後に斬首)
史跡:長崎県の史跡
文化財:石垣、堀
備考:元和4年(1618年)、一国一城令に従い、原城と日野江城を廃して島原城を築城
禄高4万3千石でありながら10万石の大名の城に匹敵する城を新築したため、過重な年貢の取立てに加えて、厳しいキリシタン弾圧を実施し、有名な島原の乱を招いています(キリスト教弾圧は誘因であって、島原半島の南側に住む農民はの大半が乱に参戦していることから考えても農民の一斉蜂起と考えるのが一般的です)
現在の天守と西の櫓、巽の櫓、丑寅の櫓、長塀は、戦後に復元されたもので、店主外観は往時の絵図とも異なるので、単なる復興天守(観光天守)

島原城

島原の乱で知られる長崎県島原市の島原城。元和4年(1618年)から7年余りを費やし、肥前日野江藩の藩主となった松倉重政が築城。森岳と呼ばれた小高い丘の上に築かれ、別名を「森岳城」といわれていました。松倉氏・高力氏など4氏19代で253年間の

金田城(かなたのき|続日本100名城

所在地:長崎県対馬市美津島町黒瀬
築城年:天智天皇6年(667年)
築城者:ヤマト王権
主な城主:不明
史跡:国の特別史跡
遺構:石塁、土塁、建物跡など
備考:天智天皇2年(663年)の朝鮮半島での白村江の戦い(はくそんこうのたたかい・はくすきのえのたたかい=倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争)での敗北後、国際情勢は緊迫し、唐・新羅連合軍の倭国侵入も想定される事態に
朝鮮半島を睨む大宰府防衛の最前線基地としてとして築かれた古代山城

金田城

長崎県対馬市美津島町にある古代山城で、国の特別史跡に指定されるのが金田城(かなたのき・かねだじょう)。飛鳥時代の天智天皇2年(663年)の白村江の戦いで倭軍が唐・新羅連合軍に敗北、倭国の対朝鮮半島最前線の城として天智天皇6年(667年)に築

福江城|続日本100名城

所在地:長崎県五島市池田町1-2
築城年:文久3年(1863年)
築城者:福江藩10代藩主・五島盛成(ごとうもりあきら)
主な城主:五島盛徳(ごとうもりのり)
史跡:長崎県の史跡、国の名勝(五島氏庭園)
遺構:石垣、堀、土塁、五島氏庭園
備考:福江藩は石田陣屋を藩庁としていましたが、五島列島近海に異国船が出現し、幕府に新城の築城願いを出、福江城を構築
海防のための石火矢台場(砲台)を各郭の隅に備えた異国船の来襲を意識した城
築城わずかで明治維新を迎えたため、維新後に解体され、実戦では使われていません

福江城(石田城)

長崎県五島市池田町にある幕末に築かれた福江藩(五島藩)の城が福江城(石田城)。福江藩10代藩主・五島盛成(ごとうもりあきら)の時、異国船の来襲に備え、嘉永2年(1849年)から15年もの歳月をかけ、幕末の文久3年(1863年)にようやく完成

原城|続日本100名城

所在地:長崎県南島原市南有馬町乙
築城年:明応5年(1496年)
築城者:戦国大名・有馬貴純(ありまたかずみ)
主な城主:松倉重政(まつくらしげまさ)、松倉勝家(島原の乱の当事者で、乱後に斬首)
史跡:国の史跡
遺構:石垣、空堀、虎口など
備考:長崎県最大の平山城で、天草四郎率いる一揆軍が立てこもった島原の乱の主戦場
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産

原城

島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されています。有明海に突き出

長崎県五大名城とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

福岡県五大名城とは!?

福岡県では、福岡藩の藩庁だった福岡城と、ヤマト王権が築いた古代山城の大野城(おおののき)が日本100名城、小倉藩の藩庁だった小倉城、古代山城の水城(みずき)、久留米藩藩庁の久留米城が続日本100名城に選定。以上の5城が、福岡県五大名城といえ

熊本県四大名城とは!?

熊本県(肥後国)には藩政時代に熊本藩、人吉藩があり(天草は天領)、その藩庁の熊本城(熊本市)、人吉城(人吉市)が日本100名城に選定。熊本藩は特例で、支城として八代城が許され八代城(八代市)と、古代の朝鮮式山城である鞠智城(くくちのき)が続

佐賀県五大名城とは!?

豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城(唐津市)、弥生時代の環濠集落・吉野ヶ里(吉野ヶ里町)、佐賀藩の藩庁・佐賀城(佐賀市)が日本100名城、古代の朝鮮式山城の基肄城(きいじょう/基山町)、唐津藩の藩庁・唐津城(唐津市)が続日本100名城

宮崎県三大名城とは!?

宮崎県内で日本100名城に選定されるのは、日南市の飫肥城(おびじょう)のみで、続日本100名城が延岡市の延岡城と宮崎市の佐土原城。それぞれ、藩政時代の飫肥藩、延岡藩、佐土原藩の藩庁で、以上が宮崎県三大名城といえるでしょう。残念ながら高鍋藩の

鹿児島県三大名城とは!?

薩摩藩は兵農分離を行なわず、外城制(とじょうせい)という中世的な制度で支配していました。藩庁となった鹿児島城が日本100名城、シラス台地に築かれた中世の山城の志布志城と知覧城が続日本100名城に選定。以上の3城が鹿児島県三大名城といえる城で

大分県六大名城とは!?

大分県内で日本100名城に選定されるのは、大分府内城(大分市)、岡城(竹田市)の2城、続日本100名城に選定が中津城(中津市)、角牟礼城(つのむれじょう/玖珠町)、臼杵城(うすきじょう/臼杵市)、佐伯城(さいきじょう/佐伯市)で、以上が大分

 

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