「世紀の大事業」として日本の建設史に残る黒部ダム建設工事。その建設を支えたのが北アルプス・後立山連峰をくり抜いた現・関電トンネル(大町2号トンネル)です。映画やテレビドラマ『黒部の太陽』にも描かれた難工事は、途中の破砕帯から大量の水が流れ出したから。毎年、『関電トンネル破砕帯見学ツアー』も用意されています。
「不撓不屈の精神」、「挑戦する勇気」の象徴ともいえる場所
今では富山県・立山町と長野県・大町市を結ぶ標高3000m級の北アルプス(立山連峰、黒部峡谷、後立山連峰)を貫く世界有数の山岳観光ルートとなっている立山黒部アルペンルート。
長野県・大町側の入口、扇沢と黒部ダムを結び、後立山連峰をくり抜いたトンネルが、関電トンネル(大町2号トンネル)です。
黒部ダムは、第二次世界大戦後の復興期に関西方面の電力不足を補うために、関西電力が莫大な予算を投入して築いた発電用のダム(発電は下流側の黒部川第四発電所)。
黒部峡谷の秘境で、満足な登山道もない場所に築くため、ダム建設の重機を運びいれるためにも大町トンネルの完成は至上命題だったのです。
建設に携わった熊谷組は、今でも「不可能と言われた破砕帯の突破は、どんな困難にも果敢に立ち向かう熊谷組スピリッツとして、私たちに受け継がれています」というほどで、世間では「工事断念か?」とも騒いだ時期もあったほどです。
難工事となった最大の理由が破砕帯。
破砕帯とは、断層運動(断層がズレるときの大きな力)によって岩石が粉々に砕かれた層で、大町2号トンネルでは大量の水が噴出しました。
昭和31年8月にスタートした工事は、平均日進10m、月進300mという日本記録を塗り替えるほどの順調なペースで掘削が進みましたが、昭和32年5月、扇沢の坑口から1700mほど掘り進んだ地点で、破砕帯に遭遇。
最大毎秒660リットルで、しかも4度という非常に冷たい地下水が、大量の土砂とともに噴出。
工事の中断を余儀なくされました。
これが報道されると、ダム建設を危ぶむ世論が高まりましたが、熊谷組はパイロット坑が掘る、ボーリングする、そして薬液注入による軟弱地盤の固化など、これまでにない工法を用いて諦めることなく、チャレンジを続けました。
昭和32年12月、80mに及んだ破砕帯をようやく突破(本来なら数日の距離を7ヶ月をかけて突破しました)、トンネル完成への目処が立ったのです。
映画『黒部の太陽』(昭和43年公開、三船プロダクション・石原プロモーション制作)で主演の石原裕次郎が演じた岩岡剛(熊谷組岩岡班)は、熊谷組の下請けとして大町2号トンネルの現場監督を務めた笹島信義さん(富山県入善町出身)がモデル。
掘削を可能としたのは「冬になれば掘れる」という笹島班長の対策本部でのひとこと。
黒部を知る地元の班長は、冬になれば地下水も減るということを経験的に知っていたのでしょうか、実際に秋には湧水も減って、対策工事の効果もあって、なんとか破砕帯を突破することができたのです。
笹島さんは「笹島建設の歴史上、もっとも危険で、もっとも苦労し、最高に嬉しかった現場」という言葉も残しています。
『関電トンネル破砕帯見学ツアー』は、この破砕帯区間(80m)を歩いて見学するツアー。
通常だと立山黒部アルペンルートの関電トンネル電気バスで抜けてしまう場所で(歩くことはできません)、破砕帯から出る湧き水に触れるなど、貴重な体験ができます。
例年、6月〜9月に数回実施されています(応募多数の場合は抽選)。
最終バスの運行後に実施するので、帰路は扇沢からタクシー、マイカーの利用となります。
関電トンネルの破砕帯とは!? 『破砕帯見学ツアー』も実施中! | |
関連HP | 関西電力公式ホームページ |
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