福岡県大川市は、日本の歌謡界の巨匠で作曲家、古賀政男の故郷で、生家近くに建つのが古賀政男記念館・生家。明治大学マンドリン倶楽部の創始に参加した古賀政男は、4000もの曲を作り、その多くは「古賀メロディー」として多くの人の記憶に残されています。その生涯を偲ぶことのできるのが記念館と生家です。
トーン記号の付いた白い塔が目印
記念館の展示ホールには、愛用のギター、マンドリン、自筆の楽譜などが展示され、レッスン室・書斎の一部を復元、古賀政男のプロフィールと時代背景が詳しく解説されています。
さらにはオーディオ室で主要100曲を聴くことも可能。
隣接して公開された生家は、明治時代築の母屋に昭和初期に増築された離れを併設。
なお、東京都渋谷区上原の「古賀政男音楽博物館」は、古賀政男が暮らした代々木上原の邸宅を再生した音楽博物館です。
「音楽は和なり」、古賀政男略歴
古賀政男は明治37年11月18日福岡県三潴郡田口村三丸に生まれ、大正元年、7歳(田口尋常高等小学校2年)まで記念館横の生家に住んでいました(6歳の時、父・喜太郎没)。
大正6年、大阪在住の四兄・久次郎からマンドリンを贈られ、音楽家を志すように。
大正12年、明治大学予科在学中に明治大学マンドリン倶楽部の創設に参加(大正15年、明治大学商学部に進学)。
昭和3年、第13回明大マンドリン倶楽部演奏会で処女作『影を慕いて』(学生時代に宮城県青根温泉で着想)を発表(『影を慕いて』は昭和5年、ビクターから発売)。
昭和6年に日本コロムビアレコードと契約して『酒は涙か溜息か』、『丘を越えて』を発表、『酒は涙か溜息か』は大ヒット曲に。
昭和9年、テイチクレコードに入社。
昭和11年、ビクターから藤山一郎を迎えて、『東京ラプソディ』を発売、大ヒット。
昭和23年、『湯の町エレジー』が大ヒット。
昭和34年、日本作曲家協会初代会長として日本レコード大賞を制定。
昭和41年、美空ひばりの歌う『悲しい酒』が大ヒット。
昭和49年、平和への願いを込めた『広島平和音楽祭』を開催。
昭和53年7月25日、永眠。
東京六大学野球などでお馴染みの明治大学の第一応援歌『紫紺の歌』(昭和16年)も古賀政男作曲(古賀メロディーの応援歌)。
昭和53年の没後に国民栄誉賞を受賞。
古賀政男記念館・生家 | |
名称 | 古賀政男記念館・生家/こがまさおきねんかん・せいか |
所在地 | 福岡県大川市三丸844-3 |
関連HP | 古賀政男記念館・生家公式ホームページ |
電車・バスで | 西鉄柳川駅から西鉄バス佐賀バスセンター行きで15分、兼木下車、徒歩3分 |
ドライブで | 九州自動車道八女ICから約16km、みやま柳川ICから約14km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 古賀政男記念館・生家 TEL:0944-86-4133 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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