秋月城

秋月城

福岡県朝倉市秋月、福岡藩の支藩・秋月藩(あきづきはん)の藩庁が置かれたのが、秋月城。元和9年(1623年)、筑前福岡藩の初代藩主・黒田長政の遺命によって三男・黒田長興(くろだながおき、2代藩主忠之の弟)に5万石が分与され、秋月藩が成立。その長興が築城し居城した平城です。

福岡藩の支藩で、藩主・黒田氏12代の居城

中世の秋月には鎌倉時代の建仁3年(1203年)に秋月種雄(秋月氏の祖で、原田種雄が鎌倉幕府から秋月庄を賜り、秋月を名乗る)が築いた山城の古処山城(こしょさんじょう)がありましたが、一国一城令で廃城に。
秋月城の築城にあたっては、山麓にあった秋月氏居館(杉本城)を活用し、古処山城の搦手門を大手門に再生、古処山城の石材などがリサイクルされています。

秋月藩は福岡藩の支藩で、5万石の小藩でしたが、江戸幕府から直接朱印状が交付された藩として機能していました。

城内は役所にあたる表御殿と、藩主の生活の場である奥御殿に分かれた陣屋形式の小さな城で、秋月陣屋とも呼ばれるのはそのため。

陣屋形式に整備され、背後に古処山に連なる山並み、前面に堀、石垣、二重櫓や平櫓が並び出入口も前面の2ヶ所のみというコンパクトな構造です。
城内にあった櫓などは現存せず、現在は表御殿があったところに朝倉市立秋月中学校が建っています(現在城跡として保存されるのは奥御殿部分です)。

また、黒門と呼ばれる秋月城本門はもともと秋月城の大手門で(城の前面堀割にある瓦坂の奥に位置していました)、藩主・黒田長興を祀る垂裕神社(すいようじんじゃ)が明治5年に創建したため、明治13年にその参道に移されたもの。

側室や家族の住む奥御殿への通用門として使われていた長屋門(内馬場裏御門)は、唯一往時の場所に残る建築物で、黒門とともに福岡県の有形文化財に指定されています。

城下には藩士たちの登城道であった「杉の馬場」、瓦を縦に並べて土の流れを防いだ瓦坂、秋月武家屋敷久野邸などが残り「筑前の小京都」と称されています。
城下町のほぼ全域が国の重伝建である朝倉市秋月重要伝統的建造物群保存地区に選定。

雛まつり『古都秋月 雛めぐり』期間中の土・日曜、祝日には長屋門前に雛人形が飾られるという恒例のイベントも行なわれています。

秋月城
城内で往時の場所に唯一現存する長屋門(内馬場裏御門)
秋月城
大手門へと続く瓦坂
秋月城
名称 秋月城/あきづきじょう
所在地 朝倉市秋月野鳥
関連HP あさくら観光協会公式ホームページ
電車・バスで 甘木鉄道甘木駅から甘木観光バス秋月行き25分、郷土館前下車、徒歩10分
ドライブで 大分自動車道甘木ICから約10km
駐車場 秋月駐車場(300台/有料)
問い合わせ あさくら観光協会 TEL:0946-24-6758/FAX:0946-24-9015
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
古都秋月 雛めぐり

古都秋月 雛めぐり|2024

2024年2月10日(土)~3月3日(日)10:00〜16:00、「筑前の小京都」と称される福岡県朝倉市秋月(あきづき)の各所に雛人形が飾られ、城下町に春の訪れを告げます。中心となるのは600体の雛人形が21段に展示される秋月城・長屋門前で

秋月城・長屋門

秋月城・長屋門

福岡県朝倉市秋月、秋月藩(福岡藩の支藩)の藩庁が置かれ、黒田家12代の居城だった秋月城で、昔のままの位置に現存する唯一の建築物が、長屋門。秋月城は、5万石という小藩の城のため、行政機能の表御殿と、私的空間の奥御殿のみの構成でしたが、奥御殿側

朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区

朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区

福岡県朝倉市、筑紫山系に連なる丘陵で囲われた小盆地で、古処山(こしょさん)の麓に位置する秋月。江戸時代に福岡藩黒田家の支藩・秋月藩として、5万石の城下町が誕生し繁栄しましたが、その歴史ある町並みが現存、朝倉市秋月伝統的建造物群保存地区に選定

 

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