慶長7年(1602年)、初代小倉藩主となった細川忠興(ほそかわただおき)は小倉城の天守などを建造したのと同時に、紫川の東側に東曲輪を縄張りしています。以前からの城下町だった西側(西曲輪)と結ぶために紫川に橋を架橋。これが常盤橋の始まりです。現在の常盤橋は平成7年に紫川マイタウン・マイリバー整備事業で架橋された木橋。
小倉城下の長崎街道に架かるレトロな歩行者専用橋
当初は大橋と称していましたが、元禄5年(1692年)の架け替え以後は常盤橋と呼ばれるように。
江戸時代には参勤交代やシーボルトの江戸参府などに利用された長崎街道の起点になっていたのがこの常盤橋です。
シーボルトの『江戸参府紀行』には、1826年2月21日(文政9年1月15日)、雨のなか、「大きな木の橋を渡り、広場に進み、ほどとおからぬ宿舎につく」。
さらに2月22日(和暦1月16日)、この日は晴れて、「橋の上で何度かコンパス測量を行なった。ここからは海峡を望む広々とした風景が開けている。橋の下を流れる川は南から北へ流れ、小倉の住民は紫川とよんでいる」と記されています(この後、関門海峡を渡り下関に至っています)。
また、伊能忠敬の『測量日記』には、文化7年(1810年)1月12日の項に、「室町の三つ辻より、常盤橋を渡り、常盤門をとおり」と記されています。
小倉は九州の玄関口であるため長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還のいわゆる「小倉の五街道」のすべてがこの橋を起点にしています。
橋の脇には「史跡常盤大橋之跡」の碑とともに文政5年(1822年)の石の橋脚が保存されています。
常盤橋の左岸北側には江戸時代には湊(港湾)があり、筑前・筑後・肥前・肥後・薩摩藩の諸大名もオランダ商館のカピタン一行もここから下関へ船で渡ったのです。
船の風待ち、潮流待ちなどもあるので、東曲輪側には九州諸藩の定宿本陣も設置されていました。
常盤橋 | |
名称 | 常盤橋/ときわばし |
所在地 | 福岡県北九州市小倉北区室町2・京町1 |
関連HP | 北九州市公式ホームページ |
電車・バスで | JR西小倉駅、または、JR小倉駅から徒歩6分 |
ドライブで | 北九州都市高速勝山ランプから約1.5km |
駐車場 | 市営室町駐車場(197台/有料) |
問い合わせ | 北九州市観光情報コーナー TEL:093-541-4189 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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