福岡県飯塚市幸袋にある「筑豊の炭鉱王」伊藤伝右衛門の旧宅が旧伊藤伝右衛門邸。伊藤伝右衛門が歌人・柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん=大正天皇の従妹で大正三美人のひとり)が過ごした邸宅で、建物は国の重要文化財、庭園は国の名勝、そして経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。
「筑豊の炭鉱王」が柳原白蓮と暮らした邸宅と庭園
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筑豊地区における代表的な炭鉱経営者で「筑豊の炭鉱王」と呼ばれたのが伊藤伝右衛門。
飯塚市幸袋本町の旧長崎街道沿いに位置し、明治43年に長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病に倒れ他界し、明治44年、後に白蓮の名の下に歌人として知られるようになった柳原燁子と再婚。
本邸の建築と庭園を完成させたもの。
庭園は、導入部の馬車廻しを中心とする広場部分、建築群に挟まれた中庭の部分、敷地北半を占める大規模な主庭の3つの部分から構成され、贅を尽くしたもので、国の名勝に。
とくに主庭は主屋からの展望を意図した庭であるとともに、石造の太鼓橋、2基の石造噴水など風情を楽しむ回遊式庭園にもなっています。
邸宅は庭園に面した主屋、長屋門、表物置、道具蔵、骨董蔵、事務室、書生室、ポンプ小屋で構成され、昭和2年、福岡市天神町にあった別邸「銅御殿」から移築された長屋門が入口です。
主屋は、庭園に向かって、本座敷(書院座敷)、主人居間、東座敷(夫人居間)が配されています。
アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間、一畳たたみを敷き詰めた長い廊下も実に見事。
旧伊藤伝右衛門邸のほか、嘉穂劇場、巻き上げ機台座(三菱飯塚炭鉱/以上、飯塚市)九州マクセル赤煉瓦記念館(旧三菱方城炭礦坑務工作室/田川郡福智町)、旧蔵内家住宅(旧藏内邸/築上郡築上町)とともに筑豊炭田関連遺産として「産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」に認定されています。
ちなみに大正三美人は、柳原白蓮のほか、才色兼備としてもてはやされた九条武子(くじょうたけこ)、英吉利法律学校(現在の中央大学)の創立に加わった法律学者・江木衷(えぎまこと)の妻・江木欣々(えぎきんき)。
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大正10年、夫婦の不仲から白蓮事件勃発!
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伊藤伝右衛門が愛する妻白蓮のためにと改築を続けた歴史的建造物であることがよくわかります。
ただし、白蓮が結婚した当時、実家の柳原家は資金難で、燁子は兄の柳原義光が貴族議員に出馬するための資金が必要だったため、炭鉱王の莫大な資金と引き換えの政略結婚だと騒ぎ立てられました。
また、伝右衛門の女遊びも続いたため、ふたりの心はすれ違い、白蓮35歳のときに、雑誌「解放」の記者・宮崎龍介(7歳年下の)と恋に落ちてしまいます。
大正10年10月10日、夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から燁子のみ失踪。
離婚騒動は新聞社の取材合戦となり、白蓮事件と呼ばれるまでに発展、ついに大正10年11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立しています。
伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、事件は決着をみたのです。
旧伊藤伝右衛門邸 | |
名称 | 旧伊藤伝右衛門邸/きゅういとうでんうえもんてい |
所在地 | 福岡県飯塚市幸袋300 |
関連HP | 旧伊藤伝右衛門邸公式ホームページ |
電車・バスで | JR浦田駅から徒歩30分。JR飯塚駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 八木山バイパス穂波東ICから約4km |
駐車場 | 幸袋リサーチパーク内駐車場(無料) |
問い合わせ | 旧伊藤伝右衛門邸 TEL:0948-22-9700 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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