岐阜県岐阜市加納丸の内にある徳川家康による天下普請(てんかぶしん)によって築かれた平城で、加納藩の藩庁が加納城(かのうじょう)。関ヶ原の合戦の前哨戦で岐阜城が落城し、廃城となると徳川家康は山城で攻めにくい岐阜城に代わって、本多忠勝を普請奉行に中山道沿いに近世平城スタイルの加納城を築いています。
天下普請で築かれた加納藩の藩庁
江戸時代には加納城が加納藩藩主の居城となり岐阜の中心として栄えました。
関ヶ原の合戦以後の最初の本格的城郭の建設地で、慶長7年(1602年)に完成(金華山の岐阜城は破却)。
天下普請(てんかぶしん)によって築かれた城は、江戸城、名古屋城、大坂城、二条城、彦根城など13城しかなく、信長、秀吉を生んだ濃尾平野を守備する加納城がいかに重要な城だったのかがよくわかります(ただし「日本100名城」に選定されるのは岐阜城で、「続日本100名城」にも選定されていません)。
慶長7年(1603年)、奥平信昌(おくだいらのぶまさ=徳川家康の長女・亀姫を正室とし、家康に娘婿として重用された大名)が入って、奥平氏の居城となりました。
藩主・奥平氏は3代で断絶しますが、その後も濃尾平野の北の要という要衝を守備するため、譜代大名の居城となりました。
城下町の加納は、中山道53番目の宿場、加納宿としても繁栄し、歌川広重の浮世絵『木曽海道六拾九次 加納』にも加納城が描かれています。
本丸天守台は石垣のみで天守は建てられず、「お三階」と呼ばれた代用天守の二之丸東北隅櫓(御三階櫓)は岐阜城の天守閣を移築したものでした。
その「お三階」は、享保13年(1728年)の落雷による火事で焼失。
その場所には現在、岐阜地方気象台が建っています。
本丸跡周辺は加納公園として整備され、本丸の石垣や土塁が往時を偲ばせています(加納城跡として国の史跡に)。
平成15年の発掘調査で、関ヶ原の合戦に勝利した後でも、防御を怠らなかった構造が判明し、徳川家康の用意周到たる姿勢がよくわかります。
大手門は中山道加納宿のある北側に、武家地は東側に配していました。
加納天満宮は加納城の鎮護社、加納八幡神社は鬼門除けです。
加納城 | |
名称 | 加納城/かのうじょう |
所在地 | 岐阜県岐阜市加納丸之内 |
関連HP | 岐阜市公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄名古屋本線加納駅から徒歩10分 |
ドライブで | 東海北陸自動車道岐阜各務原ICから約7km。または、一宮木曽川ICから約9km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 加納公園 TEL:058-277-1201 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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