岐阜県大野郡白川村、三方崩山の下にあったという伝説の城が、帰雲城(かえりくもじょう)。天正13年(1586年)、M7.8の天正大地震で背後にあった帰雲山(標高1622m)の西山腹が大崩壊し、300軒あったという城下町とともに、一夜にして姿を消し、どこにあったかもわからないため、幻の城といわれています。
天正大地震で姿を消した幻の城
戦国時代に白川郷の領主だった内ヶ島氏の居城が帰雲城。
内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)の治世の時代、天正13年11月29日(1586年1月18日)、夜におきたM7.8の天正大地震(大垣城も全壊焼失、近江長浜城、伊勢長島城が倒壊した大地震)で、庄川右岸の帰雲山が大崩壊し、庄川が堰き止められて大洪水を生み、300軒ほどあったとされる城下町とともに埋没したもの。
こうして飛騨高山の金森長近(かなもりながちか)に帰順し、豊臣方についた内ヶ島氏は滅亡しています。
加賀藩前田家『三壺記』には、「人家ともに三丈ばかりの下になりて、在所の上は草木もなき荒山となりぬ」と記され、地震による山体崩壊の凄まじさを物語っています。
本願寺の日記『貝塚御座所日記』には、「飛州ノ帰雲(かえりくも)ト云(いう)在所ハ(中略)地震ニ山ヲユリクヅシ(中略)内嶋一類地下人ニイタルマデ、不残(のこらず)死タル也」と記されています。
その崩落の跡は今も崖となって残っていますが、実際に城がどこにあったのかの正確な場所は特定されていません。
崩壊した土砂が埋め尽くしたとされる保木脇地区を流れる庄川は、ここだけ平坦な河原があることから、その一帯が帰雲城と城下町跡と推測されています。
古地図には帰雲山の位置を現在の帰雲山と庄川を隔てた反対側の左岸とするものも多く、現在の三方崩山(2058.7m)の北側、弓ヶ洞谷が崩落したとする有力な説もあります。
江戸時代の文献にその名があること、山頂部の大崩落地はやはり天正大地震で崩壊したと推測されることもその根拠となっています。
当時、内ヶ島氏は金山を所有し、足利義政の銀閣造営のための献金も実施。
そんな歴史を背景に、数百億の黄金が埋没しているのではないかとの、黄金埋没伝説をも生んでいるのです。
帰雲山崩壊地を眺める保木脇に、帰雲城址の石碑、霊を祀る観音像や神社が建立されています。
ちなみに、この保木脇も歩危(ほき)の脇という意の地名で、崩落地を物語っているとも推測されています。
帰雲城 | |
名称 | 帰雲城/かえりくもじょう |
所在地 | 岐阜県大野郡白川村保木脇 |
関連HP | 白川村公式ホームページ |
電車・バスで | JR高山駅から濃飛バス(予約制)白川郷行きで1時間40分、平瀬下車、タクシー(白山タクシーTEL05769-5-2341)で10分 |
ドライブで | 東海北陸自動車道白川郷ICから約12km。または、東海北陸自動車道荘川ICから約26km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 白川村 TEL:05769-6-1311/FAX:05769-6-1709 |
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