岐阜県不破郡関ケ原町、関ヶ原の南側、標高290mの松尾山(松尾山城)が、関ヶ原合戦で、西軍ながら東軍に通じていた小早川秀秋が陣を構えた場所。曲輪、堀切、土塁などが残される本格的な山城で、当初は1万5000もの兵を率いて、ここから戦いの行方を高みの見物をしていました。
小早川秀秋は、当初、山頂から高みの見物を!
早朝に始まった関ヶ原合戦ですが、当初は参戦することなく傍観を続けた小早川秀秋。
しびれを切らした徳川家康が、小早川秀秋の陣に催促の鉄砲を打ち込んだともいわれますが、距離を考えると疑問符も付きます。
複雑な事情で、悩み抜いた末に、東軍として西軍の大谷勢に攻めかかり、これを機に、山麓に陣を張った脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らも東軍に付き、一気に形成は東軍有利に傾いたのです。
小早川秀秋陣跡までは山麓の駐車場から徒歩40分ほどは必要で(比高も180mほどあります)、軽いハイキングとなりますが、松尾山に登ると、古戦場が一望にでき、合戦の経過を見つめながら悩み抜いた気持ちが少しわかるかもしれません。
現在、松尾山に残される土塁などの遺構は、関ヶ原合戦を前にして石田三成が大垣城主・伊藤盛正に命じた改修したものだと推測できます。
関ヶ原合戦ではもともと松尾山には伊藤盛正が陣を張っていましたが、弱冠19歳の小早川秀秋は、1万5000の兵を引き連れ、伊藤盛正を追い出す形で、松尾山に陣を張りました。
当所から、高みの見物を決め込みながら、実はタイミングを見計らって東軍につこうと考えていたのかもしれません(黒田長政から調略を受け、幼い頃に育てられた恩人・高台院のためにも東軍に参加をと説かれていました)。
岐阜関ケ原古戦場記念館では、関ヶ原古戦場の史跡巡りコースのひとつとして、「小早川秀秋コース」も用意されています。
関ヶ原古戦場・小早川秀秋陣跡(松尾山) | |
名称 | 関ヶ原古戦場・小早川秀秋陣跡(松尾山)/せきがはらこせんじょう・こばやかわひであきじんあと(まつおやま) |
所在地 | 岐阜県不破郡関ケ原町山中731-1 |
関連HP | 関ケ原観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR関ヶ原駅から松尾山麓駐車場まで徒歩30分、松尾山麓駐車場から頂上までは徒歩40分 |
ドライブで | 名神高速道路関ヶ原ICから約3kmで松尾山麓駐車場 |
駐車場 | 5台/無料 |
問い合わせ | 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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