島村養蚕農家群

島村養蚕農家群

群馬県伊勢崎市境島村、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である田島弥平旧宅を中心に、蚕種(さんしゅ=カイコの卵)製造の農家の建物が残る一角が、島村養蚕農家群。江戸時代中期から蚕種の製造が始まり、明治時代にヨーロッパでのカイコの微粒子病に際して、海外に蚕種を輸出した拠点となった農家群です。

明治時代に蚕種の輸出で繁栄した農村集落

島村養蚕農家群
集落内にある「田島弥平顕彰碑」
田島弥平旧宅
世界文化遺産に登録される田島弥平旧宅

かつて利根川の水害に悩まされ、稲作には不向きとされた島村の集落。
江戸時代末期に村の名主・田島武平、田島弥平親子が蚕種に関しての新理論を確立すると、横浜開港の時期とも重なり、また蚕種病(微粒子病)の蔓延した西欧各国の特殊事情を背景に、蚕種(蚕の卵のこと)の供給地として急速に繁栄しました。

明治12年から4回にわたり、蚕種を直接イタリアで販売する直輸出も実施するなど、先取の気概に満ちた地域だったのです。
なかでも明治5年に『養蚕新論』を著した田島弥平は、明治15年の島村自由党の結成にもかかわり、顕彰碑が建つほど尊敬を集めた人物。
田島弥平が生み出した清涼育という方法は、できるだけ涼しいところで蚕飼育をすべきというもので、養蚕農家の家屋には、入母屋の端から端まで通風が可能な小屋根(総櫓)を備えてあるのが特徴です。

昭和62年に蚕種事業は廃業となっていますが島村の集落にはまだこの総櫓付の家屋が十数棟が残されており、いかに蚕種で栄えた村であったかがよくわかります。

また県境に位置する明治30年創建の日本基督教団島村教会(国の登録有形文化財)も、イタリア・ミラノに派遣された田島善平が自宅内に開いた美以教会島村講義所が前身。
西洋の精神も取り入れようとした村の成り立ちを知るよすがとなっています。

田島弥平旧宅は世界文化遺産に登録され(外観のみ見学可能)、境島小学校の東側にある田島弥平旧宅案内所でビデオ上映と展示資料解説を実施。

島村養蚕農家群
日本基督教団島村教会(国の登録有形文化財)
島村養蚕農家群
名称 島村養蚕農家群/しまむらようさんのうかぐん
所在地 群馬県伊勢崎市境島村
関連HP 伊勢崎市公式ホームページ
電車・バスで 東武伊勢崎線境町駅からタクシーで15分または境島村観光シャトルバスを利用。JR高崎線本庄駅からタクシーで20分、深谷駅からタクシーで25分、JR両毛線伊勢崎駅からタクシーで35分
ドライブで 関越自動車道本庄児玉ICから約10km、北関東自動車道伊勢崎ICから約17km
駐車場 島村蚕のふるさと公園(20台/無料)を利用
問い合わせ 伊勢崎市教育委員会文化財保護課 TEL:0270-75-6672
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
田島弥平旧宅

田島弥平旧宅

伊勢崎市境島村地区は、江戸時代中期から蚕種(さんしゅ=カイコの卵)製造の盛んな地域で、田島弥平は養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の通風が重要であると考え「清涼育」を大成させました。近代養蚕農家の原型ともいわれる田島弥平旧宅は、世界文化遺産

境赤レンガ倉庫

境赤レンガ倉庫

群馬県伊勢崎市境、東武伊勢崎線境町駅(さかいまちえき)近くにあるのが、境赤レンガ倉庫。大正8年に繭(まゆ)の保管庫として建設された、レンガ造りの倉庫で、平成12年に当時の境町(平成17年に伊勢崎市に合併)が取得し、平成28年に耐震補強、天井

 

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