ながめ余興場

ながめ余興場

生糸や絹織物の集散地、銅山街道の宿場町として発展した群馬県みどり市の大間々市街、高津戸峡沿いにある昭和12年築の木造2階建ての劇場(芝居小屋)が、ながめ余興場。1、2階席合わせて650人収容の規模があり、廻り舞台と花道を備えていました。玄関は歌舞伎座を模したとも。

戦後、有名歌手もここで公演!

ながめ余興場

最盛期の昭和20年代~30年代には人気劇団や流行歌手が公演しました。
建築当時は一帯は「ながめ遊園地」と呼ばれ、割烹、旅館などもあり、農閑期には近隣農家の貴重な娯楽の場だったのです。
「2階から階段を踏まずに、人の足ばかりを踏んで下りてきた」などという昔語りが今に伝わっています。

ながめ余興場で公演すると出世するという伝説も生み、三橋美智也、春日八郎など、当時のトップスターも舞台に上っています。
東京の有名なホールが太平洋戦争の空襲で焼失したこともあって、終戦直後はとくに有名歌手の公演が行なわれたのです。

最後の芝居興行は昭和40年、梅沢富美男の父・梅沢清劇団。
梅沢富美男が誕生した昭和25年頃、梅沢清劇団は、主にながめ余興場で活動していたので、ながめ余興場は梅沢富美男のルーツ(兄の梅沢武生はここでデビュー)でもあるのです(地方公演でも人気の劇団でしたが、東京・板橋の篠原演芸場から声がかかり、梅沢清劇団は、東京進出を果たします)。

その後、ながめ余興場では昭和62年まで映画が上映されていましたが、遊園地閉鎖により休業。
現在、ながめ遊園地跡地は「ながめ公園」となり、芝居小屋であるながめ余興場は保存・大改修工事が行なわれ、平成9年9月、コンサートにも使われる劇場として復活しています。

回り舞台は日本で発明され、大成した舞台建築ですが、ながめ余興場はその設備を有しています。
伝統的な手回しによって鍋蓋(回転床)を回転させる方式では日本で最後の遺構なのだとか。
そんな舞台の下には地下資料室も用意されています。

「ながめ」というネーミングは高津戸峡を眺める一等地ということから。
秋に行なわれる『関東菊花大会』では、菊華寄席も行なわれています。

ながめ余興場
ながめ余興場
名称 ながめ余興場/ながめよきょうじょう
所在地 群馬県みどり市大間々町大間々1635
関連HP みどり市公式ホームページ
電車・バスで わたらせ渓谷鐵道大間々駅から徒歩5分
ドライブで 北関東自動車道太田藪塚ICから約11km
駐車場 200台/無料
問い合わせ ながめ余興場 TEL:0277-72-1968/FAX:0277-72-1985
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
関東菊花大会

第66回関東菊花大会|みどり市|2023

2023年10月21日(土)~11月23日(木・祝)9:00~16:00(最終入園15:30)、群馬県みどり市大間々町のながめ公園で『第66回関東菊花大会』を開催します。『関東菊花大会』は、毎年多くの人出を集める観光の一大イベント。菊人形や

高津戸峡

高津戸峡

日光市と沼田市の境界に聳える皇海山(すかいさん/2143.6m)を源にする渡良瀬川(わたらせがわ)の高津戸ダムのすぐ下流にある峡谷が高津戸峡。群馬県みどり市大間々市街地のすぐ西にありながら、「関東の耶馬渓」とまで称される新緑・紅葉の名所とな

岡直三郎商店(大間々工場)

岡直三郎商店(大間々工場)

群馬県みどり市大間々町にあるのが、岡直三郎商店(大間々工場)。江戸時代中期の天明7年(1787年)創業という大間々町の老舗醤油蔵。本社は東京都町田市にありますが工場は今も大間々にあるのです。大間々工場の店舗兼主屋は、国の登録有形文化財。醤油

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ